俳句の庭/第57回 「もる」 今井 聖

今井 聖
1950年新潟に生まれ鳥取で育つ。加藤楸邨に師事。俳誌『街』主宰。著書に小説『ライク・ア・ローリングストーンー俳句少年漂流記』(岩波書店)、岩波ジュニア新書『部活で俳句』他に句集三冊。評論集『言葉となればもう古しー加藤楸邨論』(朔出版)で第32回俳人協会評論賞受賞。俳人協会理事。日本シナリオ作家協会会員。

 小学生の頃、鳥取市に住んだ。ぼろぼろの一戸建ての貸家だった。裏庭が広くその奥が竹藪でその後ろにゆうに10メートルは越える高さの一本杉が見えた。その上に月が上った。二階から見るその風景は子供の目にも美しかった。その頃、「国語」で俳句を教わり芭蕉の句があった。
ほとゝぎす大竹藪をもる月夜 『嵯峨日記』
僕はこの「もる」を「盛る」だと思ったのだった。しゃもじで飯を盛るように月が竹藪をひょいと盛っている。なんとダイナミックな比喩だと感じ入ったのだ。家が貧乏でいつも腹をすかしていたからこういう発想が出てきたのかもしれない。中学に入って「国語」にまたこの句が出て来ると、先生は月光が竹藪から漏れてくるという鑑賞をした、なんだ、「盛る」じゃなくて「漏る」かとひどくがっかりした記憶がある。芭蕉もたいしたことないな、こんなん、俺にもできるがなと僕は俳句をつくって旺文社の『中二時代』に投稿をした。選者の石田波郷がそれを採ってくれて僕の俳句とのつき合いが始まった。もし国語の先生がこの「盛る」は凄いという鑑賞をしていたら芭蕉さんは到底僕などの及ぶところではないと諦めて俳句は作らなかったと思う。
ところで今、この句を眺めると「もる」のは果たして月の光でいいのか、夜も啼くホトトギスの声ではないのかという「疑念」も湧く。
どうなんでしょうか。