俳句の庭/第88回 秋田・川反かわばた 西山 睦

西山 睦
昭和21年宮城県生まれ。昭和53年「駒草」入会。阿部みどり女に師事。みどり女没後「駒草」を継承した八木澤高原、蓬田紀枝子に師事。 平成4年駒草賞受賞。平成15年より「駒草」主宰。 句集『埋火』『火珠(かしゅ)』『春火桶』(平成24年度宮城県芸術選奨受賞)。日本文芸家協会会員。詩歌文学館評議員。NHK文化センター講師。仙台文学館俳句セミナー講師。河北俳壇選者。現在俳人協会常務理事。「NHK俳句」選者。

 今年の初め、NHKテレビの「新日本紀行」で秋田市内の歓楽街、川反(かわばた)を間をおかずに二度放映した。雪の舞う川反の飲み屋街の映像は、いかにも人情味あふれる味付けがされていて、私が小学生の頃にこのあたりをうろうろしていたことを思い出させた。
 川反は秋田平野を流れる雄物川の支流、旭川に沿って南北に開かれた地区で、城を中心に武家が住み、商人、町人が旭川の反対側に住んだことで付いた地名である。後に火事にあった芸者屋や飲食店が合流して歓楽街が出来た。私の家(といっても社宅)はこの川反のお金をまとめる位置にある日銀秋田支店と支店に連なる問屋街の一角に住居兼事務所として小さな間口を開いていた。問屋街の〆に藤田嗣治のパトロンで有名な平野商会が控えていた。「歯医者で会った平野さんは五本の指に指輪をしていた」などの噂話を聞いた。
 私の友達の家は川反で居酒屋をしており、学校帰りは誘われて映画のポスターなどを見ながら彼女の家に行った。小ぢんまりした店に入ると、友人の母親は必ず彼女の足をバケツに浸して丁寧に洗った。カウンターで折紙や紙人形などで遊んでいると、そろそろお店の支度も整い、彼女は二階へ行き、さよならする。私は一度でいいから粋な彼女のお母さんに足を洗って欲しいと夢想したが、その機会は訪れなかった。後になって彼女は養女であると知った。もとより母娘は、子どもの私の目から見ても秋田美人であった。