俳句の庭/第51回 朧月 加古宗也

加古宗也
昭和45年、村上鬼城の高弟・富田うしほ・潮児父子に師事。同52年・富田うしほ追悼号より若竹編集長。平成2年9月に富田潮児より若竹継承主宰に。現在、俳人協会理事。日本文芸家協会・日本ペンクラブ各会員。村上鬼城顕彰会常任理事。

 私の住む西尾市は知る人ぞ知る茶の産地だ。五月は茶摘みの季節で、茶業者の要請もあって市内の中学生を中心に、一部の高校生や小学生も茶摘みに参加する。茶摘みというのは、茶の新芽を摘む作業で待った無しの作業でもあり、学校関係者は郷土を愛する心を養う作業として積極的に協力している。茶摘みは新芽だけを摘む作業で、古葉がまじってしまっては品質が著しく低下してしまう。つまり、新芽を摘むのが人の手作業であるがゆえに安心できるといっていい。西尾で製茶業が本格化して百年、いまでも手作業が中心であるのは、西尾茶は抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)の生産がその中心であることにもよる。
 最近はかなり高性能な茶摘機が登場してきたと聞くが、その価格はべらぼうに高額で購入するだけの資金力を持った生産者は極めて少ない。
 高品質の茶を生産する環境として、河から上がる朝露が大事だといわれるが、西尾には矢作川、矢作古川があり、さらにその土壌の赤土がとても茶の栽培にかなっているという。そして、茶をいただく習慣が古くから西尾にはあった。
 現在の西尾市の大半は、むかし吉良荘(きらのしょう)と呼ばれたところで、吉良家発祥の地、即ち、今川家発祥の地でもある。そして、徳川家康とも深いつながりがあった。さらに、江戸時代には吉良流礼法が生まれた土地柄でもある。抹茶の原料となる碾茶の生産量は日本有数だ。
なだらかな丘陵の上に広がる茶畑。その上にのぼる朧月は心をやさしくほぐしてくれる。童謡『朧月夜』がおのずと口をついて出てくる。