今日の一句
- 六月十五日
奔流の荒き水の香額の花 大岳水一路 雨のあと、水嵩の増した奔流の匂いは荒々しい。郊外にある慈眼寺の渓谷である。額の花もまた雨の後が美しい。
「大岳水一路集」
自註現代俳句シリーズ六(四四)
- 六月十四日
硝子戸に子が顔つけて梅雨深し 小倉英男 梅雨がつづき日曜日になっても晴れない。遊びに出られない息子はうらめしそう。硝子戸につけたその顔がいびつに見えた。
「小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八(三四)
- 六月十三日
足のばしゐてもひとりや梅雨畳 舘岡沙緻 箱根・若葉年次大会での作。風生先生の特々選となり同室のあやさん、眸さんによろこんでいただきホッとする。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七(一二)
- 六月十二日
仰ぐかぎり梅雨の青嶺や小海線 古賀まり子 小海線は乗っているだけで楽しい。勿論、一人旅。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四(二二)
- 六月十一日
夜間授業待機のながさ梅雨西日 石田小坡 全日制の授業のあと、定時制の授業が始まるまで二時間半、テニスやバレーボールなどで汗を流した。俳句には不熱心だった。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六(五二)
- 六月十日
郵便配るこの身が時計の時の日よ 磯貝碧蹄館 「あの郵便屋さんが来たから何時だ」と時計がわりにしてくれる。働くことの幸福を、こうしたことに味わえるのは嬉しいものだ。わが最良の日。
「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三(二)
- 六月九日
うつし世のものと灯りし蛍かな 清崎敏郎 蛍火が現実世界のものとして灯ったということだが、現実に目の前にある蛍をわざわざ「うつし世のものと」ということによって、蛍火にこの世のものではないような幻想性が加わる。しかもあくまでも現世のものであるくっきりとした美しさもあるのだ。(大輪靖宏)
「清崎敏郎集」脚註名句シリーズ二(二)
- 六月八日
螢とぶ闇に起伏のある如し 今瀬剛一 我が家と山一つをへだてた田んぼではいまでも螢が乱舞する。「闇に起伏のある」は私の実感から生まれた表現である。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六(三三)
- 六月七日
興聖寺の門前を飛ぶ螢狩る 石井桐陰 家内と二人、夕方に家を出て、宇治川の螢を見に行く。興聖寺の琴坂にかかる門前に、大きな螢が飛び交うているのをつかまえた。
「石井桐陰集」
自註現代俳句シリーズ四(六)
- 六月六日
細む眼に百言余し著莪の花 多田薙石 清瀬東京病院にて。先生はまた入院された。もともと細眼の先生だが、にこにこされると一層細くなる。
「多田薙石集」
自註現代俳句シリーズ六(一五)
- 六月五日芒種
てぬぐひの如く大きく花菖蒲 岸本尚毅 句帳にははじめ「白菖蒲」と書いた。最終的に「白」を消したのは「広々と紙の如しや白菖蒲 星野立子」という句を意識したから。
岸本尚毅 句集『鶏頭』所収
- 六月四日
螢袋登四郎の訃を旅にして 吉田鴻司 大阪淀川支部の吟行で兵庫県の龍野を訪れている。能村登四郎は、「沖」の創刊主宰。「沖」と「河」は古くは若手吟行会を開いたり浅からぬ縁であった。登四郎の〈蛍袋に指入れて人悼みけり〉を踏まえた、旅先での悼句である。「吉田鴻司集」
脚註名句シリーズ二(一六)
- 六月三日
朴咲けり湯殿おろしの荒息吹 高島筍雄 湯殿山登拝。朴が咲き、水芭蕉が群れ咲いていた。六月とは言え、手足はこごえるばかりだった。
「高島筍雄集」
自註現代俳句シリーズ六(三〇)
- 六月二日
- まだ生きて蜘蛛に抱き締められてをり
望月 周 自販機横の蜘蛛の巣。蜘蛛が巣を去っても、灯りに誘われて羽虫がかかり続けます。干涸らびる死を見詰めながら、蜘蛛に抱かれる死を思います。
望月 周
作句年:令和3年(2021年)
- 六月一日
六月の花嫁と腕組む父となりにけり 杉本光祥 長女が六月一日にやっと結婚した。披露宴で腕を組んで入場し無事花婿に引き渡した。父親としてうれしさと同時にほっとした。
「杉本光祥集」
自註現代俳句シリーズ一三(一八)
- 五月三十一日
たちまちに天地さかさま夏燕 角谷昌子 子育てで忙しい燕たちは、南アルプスの嶺々を背景に餌を求めて飛び回る。日々濃くなる緑の中、翼で風を切り、見事な宙返りを見せてくれる。
角谷昌子
「磁石」9月号所収 2024年
- 五月三十日
万緑を来て酌む木曾の七笑 加古宗也 木曾は「木曾五木」に代表される美しい森林を持つ国。そして「七笑」に代表される美酒の生まれる国。俳句仲間と木曾の温泉郷に投宿した。
加古宗也
- 五月二十九日
雲触れて花ふやしたり山法師 白岩三郎 山の中腹にある山法師が咲いた。低い雨雲の去った後など、また花の数が増えたような気がする。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六(三九)
- 五月二十八日
咲き遅れたる白さあり山法師 照井せせらぎ 啄木祭の帰途すでに終わったはずの山法師の花が、奥の森林にちらほら見えた。咲き遅れた白さもまた格別である。
「照井せせらぎ集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三)
- 五月二十七日
家に母ひとりを置けり祭笛 伊藤通明 村の社は多くがそうであるように森の中にあった。祭の日、笛や太鼓が森にこだましていて、いつか気がつくと母だけが家に取り残されていた。
「伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四(九)
- 五月二十六日
縮緬もちぢみも盛り菖蒲園 伊藤トキノ 花にもいろいろあるが、しょうぶほど日本的な花は無いように思う。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七(二三)
- 五月二十五日
髪刈られゐる鏡中を神輿来る 奈良文夫 行きつけの理髪店。うとうととした眼に神輿をかつぐ少年の自分があった。
「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八(二七)
- 五月二十四日
富士にゐて富士無き茅花流しかな 久保千鶴子 延平いくとさんの御世話で山中湖畔吟行。霧雨の中で郭公と大瑠璃を聴いた。一面の茅花で、茅花流しの季語を初めて使えた。
「久保千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ八(一一)
- 五月二十三日
霽れてゆく如く新茶の香の流れ 廣瀬ひろし 大和紡績の職場句会の作。句材に新茶が持参してあった。幹事の配慮で早速心配りの湯加減で淹れられたが、雨が霽れてゆくように香が拡がった。
「廣瀬ひろし集」
自註現代俳句シリーズ六(四九)
- 五月二十二日
朴の花夢に高さのありとせば 南うみを 高所に毅然としてひらく朴の花が好きだ。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二(五)
- 五月二十一日小満
ばら五月女に彩を著る楽しさ 大橋敦子 ばらは多彩に花圃を彩る。女性の衣服というものも、華美の世にこれまた多彩。
「大橋敦子集」
自註現代俳句シリーズ二(八)
- 五月二十日
心濡るゝまで牡丹に遊びけり 小林鹿郎 同右。百態をつくす牡丹に、火焔のすさまじさを見ていながら、心はいつか濡れてゆくふしぎさ。
「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六(二二)
- 五月十九日
新緑の夜は馳けだすか石の鹿 木内怜子 日比谷公園へ野外石像展をみに行った。前脚を上げた鹿の石像。こんな姿勢で静止し続けるはずは無い。
「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七(四一)
- 五月十八日
五月場所判官贔屓に徹しけり 水原春郎 私は何につけても判官贔屓の性。義経は勿論、野球は弱いチーム、相撲も小兵力士を応援している。
「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(六七)
- 五月十七日
福耳の祖父とうに亡し麦の秋 戸恒東人 第一句集『福耳』上梓。父も祖父も福耳であった。祖父や父はこの句集にどんな感想をもらしたであろうか。
「戸恒東人集」
自註現代俳句シリーズ一〇(九)