今日の一句

六月七日
うえのとどかぬすみゑるなり奈良文夫

あまりに能率のいい機械植え。そのとどかない隅を植える手植えのなんと人間的なことか。

「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)

六月六日芒種
若竹わかたけふし二十重はたえらず大竹きみ江

一ときわ育ちのよい若竹を見上げた。白い粉を噴く幹の肌にもふれてみた。節の輪を重ねた穂の先に空が透いて見えていた。

「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三( 八)

六月五日
あおそらより枇杷びわもらひけり縣 恒則

家の近くに、父が植えた枇杷の木が四、五本残っている。その時期になると、毎年枇杷の実がたわわに実る。

「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)

六月四日
おたくさのはなうずもれ人墓じんばか水原春郎

横浜外人墓地は草花がいっぱいである。おたくさの花(あじさい)が多い。異国に眠る人々の心を慰めている。

「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)

六月三日
六月ろくがつ水嵩みずかさゆるははおび磯貝碧蹄館

雨季の川の水嵩はかなり殖える。昨日と今日では、深浅の度が違ってくる。小さく締めた母の帯を照らすように水嵩が殖えてくる。

「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三( 二)

六月二日
どくだみのどくだみらしきにおひかな早川とも子

人間も好き嫌いがいあるように植物にも同じ好き嫌いがある。どくだみも嫌いな匂いの一つで、でもどくだみらしさがあっていい。

「早川とも子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三四)

六月一日
富士ふじとざすくも花岩はながん澤田早苗

忍野八海。富士山の伏流水が各所に湧出、澄んだ水に金魚藻が育っていたり小魚がちらちらと見える。なか印象的霧にぬれた花岩菲も又佳。

「澤田早苗集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一八)

五月三十一日
かきつばたほんしたなまけゐる角谷昌子

青少年海外派遣の通訳ボランティアに15年ほど携わり、各国語に挑戦したところ、日本語は本当に舌を動かさない言語だと実感しました。

角谷昌子  角川『俳句』2019年7月号

五月三十日
しょうてらるるともなくくら古賀雪江

不退寺は、業平の寺として知られる。寺は荒れているのではないが、手入の様子もない。黄菖蒲が咲いて牛蛙が啼いていた。

「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一三)

五月二十九日
くさつてゆくやままつり山上樹実雄

片腕を斜にひらき草の葉先を擦って歩く子に出会った。少年時代の私の姿が重なる。山にもやがて祭が来る。

「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)

五月二十八日
天楼てんろうよりしんりょくがパセリほど鷹羽狩行

ニュー・ヨーク、エムパイヤ・ステート・ビルにて。日本料理の色彩配合の美しさを、はるばるアメリカにきて想い出す。

「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)

五月二十七日
りて河匂かわにおづきかな鈴木真砂女

昭和三十三年暮れに入居した晴海の公団住宅から勝鬨橋を渡り「卯波」へ通っていた。当時の隅田川は上流の開発により水質汚染が甚だしく夏などは川風のにおいがひどかった。その後、下水処理施設が整い、現在は真夏でも夜風がにおうことはない。( 青児)

 
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二( 四)

五月二十六日
牡丹ぼうたんべつ日向ひなたたがやして立半青紹

寒牡丹も、長谷寺の牡丹も、私にはどうしても正面から牡丹が詠めない。牡丹から離れて、やっと牡丹の一句が出来た。

「立半青紹集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四七)

五月二十五日
省庁しょうちょう椅子いすやはらかきがつかな影島智子

静岡県日中友好協会の会長他十八名。それぞれの分野の方々との団体である。私も、俳人として参加せよとの事。めったにない事と思い参加。

「影島智子集」
脚註名句シリーズ一〇( 三六)

五月二十四日
海鳥うみどりきずのむくろなみ伊藤秀雄

北方へ帰りそびれたのか、力尽きたのか、無傷の鳥のむくろに哀れみを感じる。

「伊藤秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一)

五月二十三日
このまちやまざくらはつがつお京極杜藻

我が住む芝神谷町仙石山、車がやっとすれ違う幅の緩い坂道だが、片側は山桜の並木、落花が家までも舞込んで来る頃は、初鰹が食膳に上る季節。

「京極杜藻集」
自註現代俳句シリーズ三( 一二)

五月二十二日
ほおはなひとりいりてをりぬ川口 襄

平泉・中尊寺から高館に登り義経堂を拝す。時あたかも山の端に日が沈みゆく。帰りの石段を降りた辺りに大輪の朴の花が咲いていた。

「川口 襄集」
自註現代俳句シリーズ一二(一 九)

五月二十一日小満
てつ実落みおちてがつみずそら阿部誠文

船が八丈島につくと、その人と別れた。ある古い家で、蘇鉄の実が水溜まりに落ちた。結ばれた実も落ち、水もからびる、そのはかなさがあった。

「阿部誠文集」
自註現代俳句シリーズ八( 一五)

五月二十日
はず眼鏡めがねちて新樹光しんじゅこう藤本安騎生

先生は「俳句は生活記録」も大切なことと教えられた。眼鏡を借りて、新樹の陽光の中に生かされている幸せを記録したかった。

「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)

五月十九日
まつりがみたかだかひて女系じょけい伊藤京子

三社祭が近くなると、浅草っ子は気が昂ってくるという。女系三代つづいた酒店の女主人は、長い髪をきりりと結い上げていた。

「三上程子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一六)

五月十八日
泰山木たいさんぼくはな浮雲うきぐもところ三上程子

かおりの高い大きな花だが、空に向いていて下からは気づきにくい。浮雲は居場所をみつけたかのように動きを留めた。

「三上程子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一六)

五月十七日
豆飯まめめしふに五郎ごろ八茶碗はちぢゃわんかな杉森与志生

五郎八茶碗はひとまわり大きな陶の飯茶碗。五郎八とはこの茶碗を創案した職人の名だという。

「杉森与志生集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一九)

五月十六日
じょうもんそらありかぜあり薄暑はくしょあり泉 紫像

俳人協会石川県支部の総会吟行会で宇ノ気町の貝塚へ行った。標柱が一本あるだけだった。

「泉 紫像集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二)

五月十五日
ははえいいてつまかへる那須乙郎

まだテレビの発達していない時代で、映画がたのしみの一つ。学校では五月第二土曜日がこれに当てられ「母の日」の礼拝をもった。

「那須乙郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 三五)

五月十四日
はははやつまおくらるる佐藤俊子

吟行会には、いつも心よく送り出してくれた夫だった。玄関までである。

「佐藤俊子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四六)

五月十三日
聖壁せいへきこぼばくしゅう空濁そらにご下村ひろし

浦上天主堂址の存置に就ては、久しく紛糾を重ねていたが、信者側が再建をつよく希望したため遂に撤去に決った。

「下村ひろし集」
自註現代俳句シリーズ三( 一七)

五月十二日
じょうざんきゅううべな新茶しんちゃ加古宗也

常滑の陶工・三代常山は急須造りの名人。人間国宝だった。常山作の急須はその造形が美しいだけでなく、茶がおいしくなるのだ。

「加古宗也集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四二)

五月十一日
あいちょうからす屋根やねいち部貸ぶか髙崎トミ子

雀、鴉、鳩など代わるがわる屋根に止まっては飛びたつ。いつものことだから気が付くことも、気になることもないのであるが偶然愛鳥日であった。

「髙崎トミ子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三一)

五月十日
きりはなぐれつていてをり大串 章

桐の花を見ると古い詩集を思い出す。詩というものを初めて読んだのはいつの頃であったろう。

「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)

五月九日
ざくらやわがうち蝦夷えぞ江戸えど櫂未知子

父は東京・神田の出身でせっかち、几帳面。そして母は北海道・留萌の出身で大らか、ずぼら。その相反する性が私の中で共存している。

 櫂 未知子 『カムイ』『櫂未知子集』