今日の一句
- 三月二十一日春分
マーケツト店内深く春の泥 大津希水 雨の日はゴム長をはいて町へ出る。裸電球の薄暗いマーケットの中は雑然と店が並べられ、店内深く春泥に汚れたままである。戦後の未復興を想う。
「大津希水集」
自註現代俳句シリーズ四( 一三)
- 三月二十日
三宝の経巻古りし御開帳 江口竹亭 若宮の山麓の長谷観音は近隣の参詣者も多く殊に花の頃ともなれば遊山者に賑う。観世像の前の三宝には年古りた経巻も供えてある。
「江口竹亭集」
自註現代俳句シリーズ三( 六)
- 三月十九日
はこべらや焦土のいろの雀ども 石田波郷 「はこべら」は「はこべ」のこと。ことごとく焼け亡んだ焦土に萌え出たはこべの緑と、それをついばむ焦土と同色の雀ども、それらに心を和ませながら愛憐の情を通わせている。この句は昭和三十四年砂町妙久寺境内に句碑となって建立された。
「石田波郷集」 脚註名句シリーズ一( 四)
- 三月十八日
鐘が鳴り踏切が鳴り彼岸寺 榑沼清子 世田谷線宮坂駅のそばに菩提寺はある。供華を抱えて踏切に立ち、二両電車の過ぎるのを待つことも。
「榑沼清子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三七)
- 三月十七日
鵜の岩の小さな鳥居あたたかし 成田智世子 小さな岩の小さな赤い鳥居。往きに戻りに見て、心和むものの一つ。
「成田智世子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三〇)
- 三月十六日
柳芽吹く毛の国原は海なき国 福原十王 毛の国は古名。上野下野に分かれ、関東平野の北縁、みちのくに境する。奥羽山脈の東斜面は緩やかな関東ローム層を形成して、武蔵常陸に至る。
「福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四( 四二)
- 三月十五日
未だ解けぬ時給八百円の頃の雪 今井 聖 季語は脇役でいいとずっと言って来た。主役にすると本意という類型が大手を振って歩き出す。
新作 作句年(令和五年)
- 三月十四日
主病む千の椿を雨に委し 及川 貞 石田波郷氏庭内に名ある椿が満ちている。椿まつりの計画立てて楽しみだったのに俄かに清瀬へまた入院、惜しむか雨さえ降りしきって。
「及川 貞集」
自註現代俳句シリーズ二( 七)
- 三月十三日
ぜんまいの綿ほぐれたる清水かな 石井桐陰 幻住庵の址は、まさしく今は幻のごとくであるが苔清水は、どこかと探すと、谷の方にあった。ぜんまいのたけたのがあって、水に映っていた。
「石井桐陰集」
自註現代俳句シリーズ四( 六)
- 三月十二日
水取の火のかたまりが落ちにけり 立石萠木 籠松明が火滝となり火車となって降りかかる。その中に、火のかたまりが落ちて来た。
「立石萠木集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四八)
- 三月十一日
紫雲英田を懐しみつつ來し吾ぞ 相生垣瓜人 此処迄は万葉人の真似が出来ても「一夜寝にける」は真似られない。現代人の不幸と言うべきである。止むを得ない。騒々しい町へ帰るのである。
「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)
- 三月十日
惜別の一幹叩き卒業す 醍醐育宏 いつも休み時間に、触れて親しんだ樹木の幹を叩いた。その音は根や梢の末まで、コーンと響いたように思えた。この校庭とも今日限りなのだ。
「醍醐育宏集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一九)
- 三月九日
どの顔も風を楽しむ苗木市 源 鬼彦 札幌駅前のデパートの苗木市を散策。苗木を買い求めるというよりも、春の風の快さを楽しむという風情の人々で賑わう。北国にも春が。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四四)
- 三月八日
風紋のたわむ限りを雁帰る 鍵和田秞子 浜名湖周辺を「未来図」の仲間と吟行した折の句。〈鳥帰る砂丘の夕日膨れきり〉の句もある。砂丘の拡がり、海、大空、帰る鳥。大景はいい。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ・続編二一
- 三月七日
芽柳や肩怒らせて待つ男 貞弘 衛 待たされている男のいらだち。風に靡く芽柳。肩を怒らす世代の男は、もう貴重な存在かも知れなかったが......。街頭所見。
「貞弘 衛集」
自註現代俳句シリーズ三( 一五)
- 三月六日啓蟄
足もとの湿らふ雛送りかな 小林輝子 小さな桟俵にのせられた紙の夫婦雛を流れにのせるのに夢中になり水辺に近づきすぎてしまった。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九( 二二)
- 三月五日
あとかたもなき紅や雛納め 岡田貞峰 雛を納めたあとの索漠たる感じ。桃の花・菱餅のうす緑、雛壇の紅は、今の世に残る貴重な色の調和であろう。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四( 一四)
- 三月四日
望郷と言ふ北の宿鳥雲に 飯塚田鶴子 車で走り去る途中に「望郷」というささやかな旅の宿があった。北の果に来て見る望郷の二字は万感胸に。仰げば鳥は雲に。
「飯塚田鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一〇)
- 三月三日
男の雛の姿勢くづさず波の間に 浅野 正 三月三日。紀州・加太、淡島神社の雛流し神事。女雛男雛が波間に消えて行く。なぜか源平の戦を思い出していた。
「浅野 正集」
自註現代俳句シリーズ六( 二一)
- 三月二日
山椒の芽母に煮物の季節来る 古賀まり子 母の煮物は色が美しい。煮物の得意な母は野菜の豊富な季節が来ると、生き生きした。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 三月一日
田鶴の引く気配に敏く村人ら 村上杏史 八代で越冬した鶴は、三月初旬には朝鮮半島を経て北地へ帰って行く。天候を予感して発つようであるがその気配は見守っている村人らにも伝わる。
「村上杏史集」
自註現代俳句シリーズ五( 二七)
- 二月二十八日
君語る人の輪にゐて二月尽 小野恵美子 耕二の第二句集『踏歌』が俳人協会新人賞に決った。受賞式後のパーティで。
「小野恵美子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一九)
- 二月二十七日
鶯や雪は高きへ退きて 鷹羽狩行 「春告鳥」といわれる鶯が鳴くので春がくる。その唄声につられて雪解けは麓から高山へ登ってゆく。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)
- 二月二十六日
すべすべの種薯切りて灰食はす 石飛如翠 馬鈴薯を植える時期になった。農協の世話で北海道産のものである。大きいのは二つに切り、切口に灰をつけて植える。
「石飛如翠集」
自註現代俳句シリーズ八( 一七)
- 二月二十五日
寡作なる人の二月の畑仕事 能村登四郎 人間表現の手段として己を深く凝視された師。師はもちろん多作であるが己を客観視してある日のご自身を詠まれた作品と思う。二月の苛酷な農作業は耐える事、意地をもつ事―それらを作句の信条とされていた師の俤を彷彿させる。( 渕上千津)
「能村登四郎集」 脚註名句シリーズ二( 五)
- 二月二十四日
再会の朴の芽ほぐれかけてをり 南うみを ふとしたことで疎遠になった友人に、久しぶりに会った。木々の芽吹きを見遣りながら、わだかまりが少し解けてゆくのを感じた。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二( 五)
- 二月二十三日
断りの返事すぐ来て二月かな 片山由美子 原稿依頼や何かの招待など、可能な限り「諾」や「出席」ですぐに返信するが、受け取る立場では、即刻断りの返事がくると何か違和感がある。
片山由美子 『水精』所収
- 二月二十二日
はまごうの鞭を上げたる雪間かな 加藤三七子 紫の花をつけるハマゴウが、芽ごしらえをして雪の消えた砂丘に鞭のようにはねていた。弘法麦、浜昼顔と雪の下に春を待つ砂丘であった。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)
- 二月二十一日
伊吹嶽殘雪天に離れ去る 山口誓子 伊勢から北方に伊吹嶽が見えた。冬になると全山真白だったが、春になると裾から消えはじめ、頂上の雪が最後まで残っていた。その雪も消えた。残雪が昇天したのだ。
「山口誓子集」
自註現代俳句シリーズ一( 二八)
- 二月二十日
実朝忌牛の不機嫌通りける 斎藤 玄 実朝忌というと、必ず石塚友二氏と牛が思い浮かぶ。友二氏は鎌倉に住んでいる故か、牛は当時の乗物だった故か。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)