今日の一句
- 七月十三日
新妻の返事素直や金魚玉 福神規子 仮住まいをしていた時、同じ時期に越してきたお隣さんは新婚さんと見えた。白い新しい家具に囲まれて、幸せ一杯の様子だった。
「福神規子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四七)
- 七月十二日
瀧の前生れしばかりの風に触れ 南うみを 生まれたばかりの滝風に心身が洗われる。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二(五)
- 七月十一日
ソーダ水まなこいよいよ黒目がち 今瀬一博 ソーダ水の輝き、泡の弾ける音。女の子の会話はとどまることがない。喜々とした聡明なまなこは、いよいよ黒く澄んでいく。
今瀬一博
2022年(令和4年)「対岸」九月号
- 七月十日
一隅に一机一硯夏座敷 上田五千石 十四歳の時、富士郡岩松村に移住。県立富士中学校の文芸誌に〈青嵐渡るや加島五千石〉を発表し、俳号を「五千石」とする。以来、東京に転居するまで、「畦」の基盤を築いた瑞林寺涼月院での歳月を振り返った一国一城の主としての感慨の詠である。(小宮山勇)
「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二(一五)
- 七月九日
人として在る寂しさや雲の峰 斎藤 玄 人間として生れ、この世に在るということに、深い寂しさを感じた。孤独感が雲の峰と相摩した日。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二(一六)
- 七月八日
歌仙巻き名残りの裏の心太 伊藤敬子 このごろ月に一巻の割で歌仙を巻いている。連句の知的空間を楽しむ人はもっとふえてもよい。心太も愛好者がふえてきた。健康によいからだ。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ五(五)
- 七月七日小暑
海の門や鰺刺去れば海豚来て 米谷静二 鴨池港は絶好の吟行地、わが家から歩いて三十分で行ける。打ち出しが古風だが、現地に立って下されば幾分かの共感は持たれよう。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五(二九)
- 七月六日
方角を日にたしかむる破れ傘 小原啄葉 夏の八幡平。チングルマ、トウゲブキなどを眺めながら、沢みちを秋田側に出た。時々方角を間違えては、日輪の位置をたしかめて歩いた。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四(一六)
- 七月五日
身を惜しむ齢は過ぎぬ夾竹桃 本多静江 夾竹桃の赤に対していると、目に見えぬ何ものかに駆りたてられる。耳順も過ぎた身を、今こそ自ら酷使しなければならない。
「本多静江集」
自註現代俳句シリーズ四(四五)
- 七月四日
夏霧に髪濡れて乗る上野かな 蓬田紀枝子 七月四日。みどり女先生にお会いした最後。寝られたままで「杉田久女遺墨を見せてあげて」と家人にいわれた。小さな声だった。
「蓬田紀枝子集」
自註現代俳句シリーズ五(五七)
- 七月三日
青蔦や若かりし日を手繰り得ず 福永法弘 大学生活を送った学生寮を久々に訪ねた。寮の壁を這う青蔦を引っ張ってみても、懐かしい青春の日々は帰って来ない。
福永法弘
句集『永』より、昨句年2015年
- 七月二日
日々待たれゐて癒えざりき半夏生 村越化石 眼を覆われたまま、ベッドに臥して、月余を経た。友人の誰彼が毎日のように見舞ってくれた。
「村越化石集」
自註現代俳句シリーズ二(三八)
- 七月一日
快晴の快風の山開きけり 三田きえ子 「畦」の恒例となっている富士の山開き、快晴の快風のリズムが楽しい。
「三田きえ子集」
自註現代俳句シリーズ七(一四)
- 六月三十日
草を手に子の遊びをり御祓川 中村雅樹 京都で「晨」の同人総会が催された。上賀茂神社の楢の小川で遊んでいる子どもを詠んだ。山本洋子さんと中山世一さんの選に入ったと記憶。
「中村雅樹集」
自註現代俳句シリーズ一三(二〇)
- 六月二十九日
青山椒雨には少し酒ほしき 星野麦丘人 六月、伊香保温泉で鶴俳句鍛錬会がひらかれた。天候には恵まれなかったが、友二賞を獲得した。「降りぐせの山の宿なり炙花」は同時作。
「星野麦丘人」
自註現代俳句シリーズ二(三四)
- 六月二十八日
手を振りて母が来さうな青田道 髙田正子 そろそろ植田から青田になる頃合いかと考えていたら、不意に亡き母が現れた。いつもこうして出迎え、帰るときには見えなくなるまで見送ってくれた母である。
髙田正子 2021年作
- 六月二十七日
蛭つきて水物花材届きゐし 朝倉和江 いけ花の材料には虫がついていることがある。大嫌いな毛虫も殺さねばいけ花教師はつとまらない。河骨には蛭がついてくることがあった。
「朝倉和江集」
自註現代俳句シリーズ五(二)
- 六月二十六日
金串のベーコン熱き青葉木菟 松本澄江 浅間大滝を見に奥軽井沢のロッジによく立寄った。空気が冷たく金串で焼いたベーコンがうまかった。青葉木菟がホーホーとよく鳴く。
「松本澄江集」
自註現代俳句シリーズ六(二九)
- 六月二十五日
樹上にも緑蔭ありて鳩憩ふ 八木沢高原 緑蔭に休んであたりに注意を払うと、頭上に鳩がとまっていた。樹上に緑蔭があっても不思議はなく、鳩の緑蔭は樹上なのかと思った。
「八木沢高原集」
自註現代俳句シリーズ四(五二)
- 六月二十四日
蛇消えしあと草むらに風立ちぬ 柏原眠雨 宮城県の白石から七ヶ宿方面へ入った小原温泉に結社の吟行で出掛けた折の句。白石川上流の碧玉渓と呼ばれる谷を歩いて、蛇に出くわした。
「柏原眠雨集」
自註現代俳句シリーズ一一(六六)
- 六月二十三日
八つ目鰻割く吸盤に指入れて 吉田紫乃 田の水口に居たからと八つ目鰻を貰う。魚屋へ頼んで手捌きを見る。
「吉田紫乃集」
自註現代俳句シリーズ七(三〇)
- 六月二十二日
砂糖壺に砂糖充実水中花 澤村昭代 砂糖壺にもたまにはいっぱいの時もある。水中花とのとり合せが面白いといわれた句。
「澤村昭代集」
自註現代俳句シリーズ八(三七)
- 六月二十一日夏至
菩提樹よ沙羅よ仏の夏木とす 加藤三七子 菩提樹は鶴林寺に、沙羅は応聖寺に、どちらもいい木で私の好きな木である。花の咲くとき実のつくときかならずたずねたくなる木。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三(一〇)
- 六月二十日
薫風に乾けり真間の泪石 河府雪於 真間吟行。手古奈堂から弘法寺に通じる石段があり、その一つ少し幅広の石を泪石と呼ぶ。万葉の手古奈の泪とでもいうのであろうか。
「河府雪於集」
自註現代俳句シリーズ六(一八)
- 六月十九日
江戸城址雀こもらす夏柳 村田 脩 ここは、堅固な構えを抜け、お濠を渡ったあたりか。
「村田 脩集」
自註現代俳句シリーズ三(三五)
- 六月十八日
一つ名の川が海まで青嵐 伊藤白潮 前句と同じく木曾川そのものを詠んだ。翌朝のタクシーで赤沢美林へゆく途中、運転手に確めてみた。「この川は海に入るまで木曾川ですか」。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 六月十七日
鮎宿に持ちこまれたる地酒かな 皆川盤水 浦佐の魚野川に鮎漁をした時の句。沢木先生に同行した。酒を持ちこんだのは私。
「皆川盤水集」
自註現代俳句シリーズ三(三二)
- 六月十六日
紅花を植ゑて教師の余生あり 細谷鳩舎 紅花は雪解と共に植え、半夏の頃より咲き始める。教師をしながら、紅花研究を始め、晩年はその権威となった。
「細谷鳩舎集」
自註現代俳句シリーズ五(三四)
- 六月十五日
奔流の荒き水の香額の花 大岳水一路 雨のあと、水嵩の増した奔流の匂いは荒々しい。郊外にある慈眼寺の渓谷である。額の花もまた雨の後が美しい。
「大岳水一路集」
自註現代俳句シリーズ六(四四)
- 六月十四日
硝子戸に子が顔つけて梅雨深し 小倉英男 梅雨がつづき日曜日になっても晴れない。遊びに出られない息子はうらめしそう。硝子戸につけたその顔がいびつに見えた。
「小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八(三四)