今日の一句

五月十九日
かぜがつももいろぺりかんももいろに和田順子

ただそれだけのことを敢えて詠んでみる。

「和田順子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一五)

五月十八日
ぽつかりとしろくもあるまつりかな小圷健水

三社祭の日、よく晴れた青空に真っ白い雲が一つ浮いていた。「ずうずうしい。無責任の良さ、悪さ」は「木曜会」での評。

「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二(三八)

五月十七日
ほおはなおとかんとしてひらく青柳志解樹

朴の花の開く瞬間は感動的だ。双眼鏡を覗いているときに、瀬音が聞こえてきた。自然はいつも共鳴しあっているのだ。

「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四(一)

五月十六日
わかかえでかげさすすずりあらひけり水原秋櫻子

この句の前に、「つれづれに硯あらふや燕子花」がある。この頃、祖父は時間の余裕を習字で過した。以前から、線の細い自分の字を悪筆と嘆いていたので、一念発起して字を練習した。凝り性だから墨も硯もいい物を選ぶ。後の円やかな太い字の始まりである。

 
「水原秋櫻子集」 脚註名句シリーズ一(一五)

五月十五日
激浪げきろううずいっはくたんきくちつねこ

激しい波が崖にぶつかって戻る時、たまたま渦を見せるところが五浦にある。庭の白牡丹を見ながらそのことを思い出した。

「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三(一一)

五月十四日
しょうごくこころとおなみかな鈴木真砂女

〈初凪やもののこほらぬ国に住み〉〈あるときは船より高き卯浪かな〉の生れ故郷安房鴨川に遠く、後半生のよりどころ銀座「卯波」にも腰痛のため立てなくなった。季語「卯波」に思いを託し、句帖にしたためた。どこまでも季語の鈴木真砂女であった。(あさ子)

 
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二(四)

五月十三日
ははのすがしその満月まんげつ下鉢清子

「母の日」と言う行事が定着したのも戦後が長くなったからだろう。嫁さんからブランド物の傘を頂いた。女の子とは良いものである。

「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七(三四)

五月十二日
ははぼうたのしむははにして徳永山冬子

母の日と云っても常に変らず働いて休養することを知らない。多忙を楽しんでいるかのような母であった。この四年後に逝った。

「徳永山冬子集」
自註現代俳句シリーズ二(二六)

五月十一日
せい祭近さいちか玻璃拭はりふくマリアえん古賀まり子

長崎は三度目。一度目は垣間見たマリア園、二度目は修道女がガラス窓をみがいていた。三度目もまた。紫陽花が美しかった。

「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四(二二)

五月十日
衣紅きぬあかきグレコのマリアがつながさく清江

トレドの大聖堂で、グレコの聖家族「紅衣のマリア」に魅せられて求めたマリアの絵を、自室に掲げ、七年経てようやく季語を得た。

「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)

五月九日
ねこ瑠璃るりいろとなりがつ梅田愛子

長男の孫かおるが、自分の給料で血統書つきの猫を飼っている。仔猫の時だったが、最近大きく重くなる。眼が美しい。

「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三九)

五月八日
ワイシャツのえりこそいのちなつたる原田紫野

糊をきかせ衿先のピンと張ったワイシャツは男性のお洒落のイロハのイの字。懸命にアイロンで挑戦したこともあったが。

「原田紫野集」
自註現代俳句シリーズ一二(一〇)

五月七日
ふくろかけしたるもわれらもももぐ尾亀清四郎

家の外庭の桃。花が咲いて五月には摘果をしながら袋掛をする。前夜新聞紙を切って貼った袋を句友にも掛けて貰う。六月にははや捥げる。

「尾亀清四郎集」
自註現代俳句シリーズ九(五)

五月六日
さらすみすぐにかわくよわかかぜ星野立子

五月六日、二百廿日会。銀座裏、実花さん宅。

「星野立子集」
自註現代俳句シリーズ二(三三)

五月五日立夏
藤棚ふじだなはなのこぼるゝども今井杏太郎

風は雀の子に。花は人の子に。

「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)

五月四日
さがゆるこいのぼり品川鈴子

神戸も北区は静かな山里。無動寺―山田八幡郷社―箱木千年家を英会話仲間の家族連れで遠足。紙と鉛筆を配ると、大人も子供も楽しんで句作。

「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五(四二)

五月三日
ざくら一樹いちじゅもておおふべし女人堂にょにんどう吉野義子

高野山の女人堂のそばに大きなさくらが一樹ある。花を終ったばかりのその樹を見ていて、早く葉桜となり堂を覆いつくしてほしいと思った。

「吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四(五四)

五月二日
ぐるまきゅうどうくすりうり長田 等

近くの旧中山道沿いの旅人宿に富山の薬売りがよく来ていた。大きな黒い風呂敷包を背負って近所を巡っていた。近ごろはあまり見かけなくなった。

「長田 等集」
自註現代俳句シリーズ七(一八)

五月一日
夭折ようせつはすでにかなはずなしはな福永法弘

四十代半ばの作。夭折が甘美に思えた若き日は遥か彼方。働き盛りといえば聞こえは良いが、どっぷりと濁世に浸る毎日。梨の花が白く眩しい。

福永法弘  句集『遊行』所載

四月三十日
しゅうせんのゆるるはひとのりしあと椎橋清翠

黒沢明監督、志村喬主演の名作「生きる」のラストシーンを思わせる作品と評価された。

「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七(三六)

四月二十九日
春宵しゅんしょうやニコライしょう楼空ろうそら村田 脩

釣鐘の姿もはっきりと、お茶の水ニコライ堂の古い鐘楼をこんなにつくづくと眺めたのも春宵の気分があったからだ。

「村田 脩集」
自註現代俳句シリーズ三(三五)

四月二十八日
春潮しゅんちょう水平線すいへいせんせし西村和子

先生の句碑除幕式にお供して福島県大熊町へ。太平洋が一望できる丘の上だった。水平線がくっきりと見えた。

「西村和子集」
自註現代俳句シリーズ八(三〇)

四月二十七日
へきぎょくをつけはるしむあねいもと河府雪於

妹とお揃いで買ったサファイアの指輪。久し振りに逢った二人の指に偶然。これは山火二百号記念大会の作品で、青邨先生特選になった。

「河府雪於集」
自註現代俳句シリーズ六(一八)

四月二十六日
がるいま六根ろっこん清浄しょうじょうはなりんご成田千空


六根清浄は六根から生じる迷いを断ち浄らかな身になること。津軽がどうして六根清浄なのか、おそらく林檎の花が咲き揃い、清々しさが天地空間に満ち渡っている状態に感銘して、心底から発した言葉だったのではなかろうか。郷土愛が漲っている。
(三島静子)

 
「成田千空集」脚註名句シリーズ二(七)

四月二十五日
竹秋たけあきけものゐさうなやまいろ田所節子

葉が枯れたような色になっている竹山は、荒れて、けものが出そうな感じがする。

「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三一)

四月二十四日
ほんうつくしきときリラのはな後藤夜半


四月二十四日、晴、牡丹会、草庵。「牡丹を生けて魔除の獅子頭」「牡丹も帯つきといふ粧ひも」といった作があるので牡丹は生けられていたもの。リラの方は多分庭のものであろうか。日本語の美しく使われたとき、リラもまた一際美しく見えたというのであろう。

 
「後藤夜半集」脚註名句シリーズ一(八)

四月二十三日
粉黛ふんたいたのしむ蝌蚪かとみずうえ西東三鬼


おたまじゃくしの水の上で粉黛(おしろいとまゆずみ。即ち化粧)をする女性の行為を〈娯しむ〉と観察した。なめらかなリズムの中に三鬼独自の技術。男性のまえで化粧しないのが女性のたしなみとされているから、この男女は特別な関係にあることになる。『今日』

 
「西東三鬼集」 脚註名句シリーズ一(九)

四月二十二日
すぎはなけぶるをちておおがらす佐野美智

ちかくの日向薬師の裏山で、杉の花粉の流れるように飛ぶのを見た。翼の濡れたような鴉が驚いてとびたつ。

「佐野美智集」
自註現代俳句シリーズ四(二四)

四月二十一日
まゆてあらかたあめがつかな進藤一考

製糸工場を見せて貰った。家内工業であった。繭を煮る甘い匂いが充満していた。甘い匂いが身に滲みた。この年の四月はよく雨が降った。

「進藤一考集」
自註現代俳句シリーズ二(二〇)

四月二十日
よるふじひとりでゐたきときもあり鈴木栄子

「ひとりでゐたきときもあり」というよりも、どちらかというと、いつもひとりでいたい方である。思うことがあるからだろうか。

「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四(二八)