今日の一句

四月三十日
西開にしひらくまま西にしきてしょうへん加倉井秋を

西へ向って歩くのが正遍路だ。反対に回るのが逆遍路であり、多くの遍路は、正遍路として西開く方向へ対かって歩く。同じ土佐での所見。

「加倉井秋を集」
自註現代俳句シリーズ二(一一)

四月二十九日
とすぢのあずまくだりのはるみち富安風生

東下りは京都から東国へ下る道として物語にも現われて、美しい言葉として使いこなされている。その語のもつ背景は限りなく深く美しい。

「富安風生」
自註現代俳句シリーズ一(一一)

四月二十八日
行春ゆくはる慈悲じひ茅屋ぼうおくもど斉藤 玄

酔漢の僕は夜な夜な大酒して家に戻った。酔えば酔うほど、茅屋の我が家が懐しくなった。家や家人が慈悲そのものに思えてならなかった。

「斉藤 玄」
自註現代俳句シリーズ二(一六)

四月二十七日
沢蟹さわがに子連こづれのはるけにけり市村究一郎

越後の旅あたりから、星眠先生との吟行にも熱を加えてきた。田や畑での時間を詠んできた私には戸惑いがないではなかった。秋間梅林周辺。

「市村究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四(七)

四月二十六日
花虻はなあぶのまぎれてきしがひかりどう池田啓三

平泉の金色堂を訪れた際、明るく照らされた光堂へとさそわれる一匹の花虻の舞う姿がとても印象的であった。

「池田啓三集」
自註現代俳句シリーズ一三(二)

四月二十五日
しゅんげつもりのごとくにうえいち大竹きみ江

公園の植木市は四月一杯。夜は根巻をした大木が寄せあって町の灯を遮っている。俄かの森に舞台のような春の月が懸った。

「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三(八)

四月二十四日
山吹やまぶきゆうおくまでつづく大串 章

飯田龍太氏が「非凡にあこがれるより、常凡をおそれぬ恒心の確かさ。これがこの作者に対する私の印象のすべて」と「濱」に書いて下さった。

「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五(七)

四月二十三日
藤一房ふじひとふさひゃくふされしめて小川斉東語

社宅の庭に見事な藤棚があった。地主さんが永年かけて育てたものである。一房を頂戴して剪った。長女の結婚式を明日に控えた日の出来事。

「小川斉東語集」
自註現代俳句シリーズ六(八)

四月二十二日
シクラメンいてだっのごとりぬ鈴木栄子

角川書店の創立者故角川源義社長は俳壇にも偉大な功績を残され、俳句文学館の設立となった。病を得られた時、角川賞のお礼に花をお届けした。

「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四(二八)

四月二十一日
春深はるふかくしてうら木戸きど意味いみありげ大牧 広

裏木戸というもの日本独特の様式であろう。濃密な春の暮れがた半開きにしてある木戸を見ると一層その感を深くする。

「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六(五一)

四月二十日穀雨
火山灰よ  なつてをるしゅんげつくらかりし江口竹亭

「万燈」で桜島、都井岬の俳諧の旅の第一日目は桜島へ渡り、古里のホテルに泊った。火山灰の降る日で春月の空にも火山灰が降っておった。

「江口竹亭集」
自註現代俳句シリーズ三(六)

四月十九日
テニス顔右かおみぎひだりはるかぜ嶋田一歩

テニスの試合を見ている観客。テニスの球はネット越しに左右にとぶ。ラリーが続くと観客の首は振子のように動く。

「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五(三〇)

四月十八日
かんされふじまる林 徹

工事で掘り出された土管が、藤棚の下へ置かれた。

「林 徹集」
自註現代俳句シリーズ四(三八)

四月十七日
古寺ふるでらにしろがねの雨松あめまつはな池内けい吾

松山の自宅に近い観月山にある石雲寺は、富安風生ゆかりの寺。境内に風生堂もある。松の花に、春驟雨がきらきらと光った。

「池内けい吾集」
自註現代俳句シリーズ八(四七)

四月十六日
さみしさをみもてぬぐふさくらがい三田きえ子

モナリザの微笑とまでゆかなくとも、ほほえみは心の屈折をカムフラージュする。

「三田きえ子集」
自註現代俳句シリーズ七(一四)

四月十五日
はまぐりのから遠景えんけいらしきもの櫂 未知子

神田育ちの父は上京すると蛤つゆを飲みたがった。あの殻にあるぼんやりとした景色は、早くに亡くなった父との最後の光景のような――。

「櫂未知子集」
自註現代俳句シリーズ一二(四一)

四月十四日
へんたゆまずふちいっせず佐野まもる

ひたすらなる遍路の歩は、碧くたたえる淵など一顧することもない。ただもうお大師にすがって一心不乱の旅をつづけるだけだ。

「佐野まもる集」
自註現代俳句シリーズ三(一六)

四月十三日
風大かぜおお屋根やねひとのぼりゐる雨宮きぬよ

我町は坂の町でもある。見晴らしがきく。

「雨宮きぬよ集」
自註現代俳句シリーズ一一(一一)

四月十二日
花時はなどきあかつめりにけり藤本美和子

「赤子」は生後一か月頃の初孫。「花時」の季語に赤子を抱いた時の感触やら、爪の色等々がまざまざと蘇る。その孫も今春、はや大学生である。

藤本美和子
二〇〇七年作。『天空』所収

四月十一日
かがやきてわがほおかすめらっあり志村さゝを

第二の人生。設置者、県より委託される福祉施設を管理する法人に、退職の翌日採用された。

「志村さゝを集」
自註現代俳句シリーズ七(八)

四月十日
はなあめちょうつね口籠くちごも貞弘 衛

生前の輝かしい業績や、立派な人柄を、如何に讃えても、厳粛な霊前に告別の辞を述べることは、誰でも、口籠らざるを得なくなるのだろう。

「貞弘 衛集」
自註現代俳句シリーズ三(一五)

四月九日
はなちるや瑞々みずみずしきは出羽でわくに石田波郷

「馬酔木の最後の仕事を持つて蔵王高湯温泉に赴いた。水原先生の御好意に依る。東京は葉桜であつたが出羽の国は満開の花、山は尚蕾が固かつた。帰途車中の作」。波郷はこの頃に馬酔木の編集並びに同人を辞している。

 
「石田波郷集」 脚註名句シリーズ一(四)

四月八日
ぶつただくろしと甘茶あまちゃそそぎけり薮内柴火

嵯峨清涼寺の甘茶仏は仏生会のときだけ開帳され、法要が終ってから一般に灌仏が許される。恐る恐る甘茶をそそいだが、黒いばかりであった。

「薮内柴火集」
自註現代俳句シリーズ六(二)

四月七日
さくらもちうてこうばなさず本宮哲郎

さくら餅の匂いをそっと抱いて薄暮を帰る。春を先取りしたような、ささやかながらリッチな気分。

「本宮哲郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(八)

四月六日
さくらながくにあさやみ原 裕

磯長の国は既出。この太平洋に面した一帯には濃密なくらさといったものはなく、桜の咲くころともなるといっそう淡々とした闇がたちこめる。

「原 裕集」
自註現代俳句シリーズ一(二四)

四月五日
そそくさうきうき野良のらづれはなづれ平畑静塔

宇都宮市八幡山の花見風景。昭和三十七年、関西より移住した作者には、北関東の風物にはかなりの違和感があったのであろう。醍醐の花見、吉野の花見に馴染んだ作者には、県都のど真ん中の花見も、こういう感じがしたのであろう。自註には女連の花見とある。(宋 岳人)

 
「平畑静塔集」 脚註名句シリーズ二(三)

四月四日清明
さくら鋼索黒こうさくくろあぶら藤井 亘

夜桜の千光寺へ往復するロープウェイの灯の函が、宙で交叉する美しい夜景。暗いところでは滑車が汚れた重油を垂らしていた。

「藤井 亘集」
自註現代俳句シリーズ五(五一)

四月三日
かぜかみふんはりとゆうざくら角川照子

夕桜、一日中の緊張から解放された桜が一番好き、桜を渡って来た風が私の髪に宿ってふんわりと。夢幻のとき。

「角川照子集」
自註現代俳句シリーズ五(一三)

四月二日
きやうのおとさびたるいとざくら伊東 肇

砧公園の中を流れる野川のほとりに、魅了してやまない枝垂桜がある。毎春、この糸桜だけを見るために出かけてゆく。

「伊東 肇集」
自註現代俳句シリーズ一一(三八)

四月一日
がうがうと水音迫みずおとせまはつざくら鈴木厚子

初桜に、水音ばかりが迫っていた。

「鈴木厚子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五三)