今日の一句
- 一月二十二日
火を焚けば真つ暗になる寒き夜 井越芳子 一月も煖炉の火を見に行く。火を焚けば明るくなるはずなのに真っ暗になった。そう思えた一瞬があった。多くの方が取り上げてくれた。
「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四八)
- 一月二十一日
大それたこと夫がせり藪柑子 鈴木節子 六十二年一月号を創刊として、夫が主宰誌「門」をもった。家業は、私にまかせるというが、大変なこと、夫も私も、一層忙しく、何と大それたこと。
「鈴木節子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三六)
- 一月二十日大寒
潮鳴れば雪にあくがれ雪椿 松本 進 海岸の斜面に張りつくように雪椿の群落があった。佐渡より吹きつける雪の今降り出したばかりなのに、もう積っている。あえかな雪椿が眼に滲む。
「松本 進集」
自註現代俳句シリーズ七( 四)
- 一月十九日
無垢の瞳となり寒林を出できたる 藤木俱子 寒林は下に雪を敷いている時は、殊に明るく透明な空気に満たされている。〈寒林や心澄まねば眸の澄まず〉( 平成三年)の句もある。
「藤木俱子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 一月十八日
竹馬に土まだつかず匂ふなり 林 翔 学生時代に「青竹の青き匂に・・・」と竹馬を短歌に詠んだ。その中の子供は竹馬に乗っていたが、これはまだ乗らないところがみそだろう。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 一月十七日
祀られて枯にまぎるる藁の蛇 宮津昭彦 市川市付近には辻切という風習が残っている。村の境界に藁で作った大きな蛇を懸け、災厄や厄病が村に入るのを防いだ。
「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ続編( 八)
- 一月十六日
凍滝の膝折るごとく崩れけり 上田五千石 「膝折る」とは、頑張った末屈服すると言うことである。作者が「凍滝」の「崩れ」の瞬間まで凝視していたことが解る。五千石俳句の真髄である「眼前直覚」、「われ」「いま」「ここ」を自ら示している句である。(金子千洋子)「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二( 一五)
- 一月十五日
初鴉面を上げて鳴きにけり 皆川盤水 鴉は色や鳴き声などから不気味な鳥とされる。一方神社では、八咫烏など瑞兆とされる。特に元旦の鴉は神鴉として目出度く、鴉好きの盤水にとっても特別なもの。その鴉の「面を上げて」には思い入れがひときわ深かったのであろう。「皆川盤水集」
脚註名句シリーズ二( 一二)
- 一月十四日
おもちや屋のネオンわいわい雪降り来 宮崎すみ 何につけても、おもちゃ屋は楽しい。ネオンすら賑やかである。それに加えて子供の大好きな雪......。
「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)
- 一月十三日
寒雀市のはづれといふところ 佐藤博美 浅草寺から少し外れたところに寒雀が遊んでいた。人混みから早く逃れたいと思っていた私と通じる。
「佐藤博美集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二六)
- 一月十二日
寒柝の音のはずれに齢加へ 伊藤通明 夜の八時に集合して「火の用心」を触れて回るのは、子供会の楽しい冬の行事であった。しかし今は寒柝の音に年齢を重ねてしみじみとしている。
「伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四( 九)
- 一月十一日
信者みな白衣笹清淨雪清淨 岡田日郎 右に同じ。七面山は身延山久遠寺の奥の院として日朗上人が開祖である。敬慎院という宿坊があり信者でにぎわう。正月二日は満員であった。
「岡田日郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 九)
- 一月十日
暁闇の雪待ちゐたる梢たち 鈴木貞雄 未明に散歩に出ると、雪雲の下で、木々の梢がうちふるえていた。やがて来るであろう雪を待ち望むかのように。
「鈴木貞雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 二九)
- 一月九日
初暦恪勤すでにはじまれる 浦野芳南 恪勤とは職場のリズムに忠実なことであろうか。だからリズムからそれる違和感だけが嫌で、初暦にもそんなメモをびっしりと書き込んだ。
「浦野芳南集」
自註現代俳句シリーズ三( 五)
- 一月八日
一橙を据う一燈を置く如し 相生垣瓜人 一燈を置けば其処に心の寄り所が得られる。新年を迎えて又新しい一橙を据える。又新しい年の新しい心の寄り所が生れるのである。
「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)
- 一月七日
七草籠のなづなの花が咲きにけり 西嶋あさ子 これでいいんだよ、と先輩に言われた。あまりにさり気ないが、できてしまうと、愛着がわく。これでもこだわっていたのだと、後で気づく。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 一月六日
今生にこの妻掃除はじめかな 細川加賀 今生にこの妻は、大げさで気がひけるが、縁あって妻となった者への愛憐の情をしみじみ抱くことがある。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)
- 一月五日小寒
長男に長女うなづく福寿草 源 鬼彦 正月には長男夫婦が帰省するのが恒例。その時の長男と長女が話をする様子をスケッチ。正月はくつろぐの感が深い。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四四)
- 一月四日
箱ひらき初荷の薬匂はしむ 白岩三郎 職場の病院では薬の管理もしている。薬の匂いはきらいではない。カプセルやパックされた錠剤が多いので一昔前ほどの匂いはなくなった。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 三九)
- 一月三日
また親し無名賀状の二三枚 米谷静二 年賀状が作句の対象になるというのも年齢のせいだろう。とくにこの句のような例、昔なら怒って捨ててしまったかもしれないのに。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)
- 一月二日
また一つ老いてしまひし草石蚕かな 下鉢清子 新年を迎えると加歳の思いはまだ抜け切らない。ちょろぎの歯切れよき語に一句試みたもの。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七( 三四)
- 一月一日
木の下を鳥歩む音年新た 松浦加古 乾いた落葉の上を鳥が歩いて何かをつついてゆく。昨日と全く変らない光景なのだが、年が改まると何もかも新鮮に思われる。
「松浦加古集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一八)
- 十二月三十一日
点線を真つ直ぐに切り歳詰る 小浜史都女 キリトリ線にミシン目の入っていないのがあり、鋏で切るのだが、真っ直ぐ線どおりに切るときの緊張の一瞬。
「小浜史都女集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三四)
- 十二月三十日
歳晩の大戸の前の濤暮るる 三浦恒礼子 舟蔵などののこる網元。大きな門構えである。雲の余映をのこした海が暮れて、歳晩の波音が大戸にひびく。
「三浦恒礼子集」
自註現代俳句シリーズ四( 四七)
- 十二月二十九日
悪魔のための空席一つ冬の酒 磯貝碧蹄館 花も何も飾ってない、殺風景な席は悪魔の席かもしれない。いや、むしろ「悪魔の席」として、私はとって置きたい。親愛なる悪魔のために。
「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三( 二)
- 十二月二十八日
年惜しむ鴎外橋の上に立ち 向野楠葉 桃郊師の逝去後の「木の実」を引き継ぐことを受諾したことを後悔しながら、納め句座に參ずるため鷗外橋を渡った。俳誌発行の厳しさ。
「向野楠葉集」
自註現代俳句シリーズ四( 四〇)
- 十二月二十七日
極月や残されしもの励まねば 村上しゅら 「波郷先生亡く、阿部思水先生急逝して一年を経んとす」の前書がある。
「村上しゅら集」
自註現代俳句シリーズ三( 三四)
- 十二月二十六日
街角に人触れやすき飾売り 上野章子 臨時に組み立てて街角に出っぱって出来た露店にお飾があふれていた。乾いた藁の音が人の肩が触れるたびにした。
「上野章子集」
自註現代俳句シリーズ三( 四)
- 十二月二十五日
胸中に聖句かがやく十二月 古賀まり子 十二月は誰も神を思う月。街に讃美歌が流れ、神の言葉がふえる。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 十二月二十四日
降誕の跪拝波打つしづけさよ 下村ひろし 堂内には数多の信徒が粛然と並んでいた。一斉に跪拝が行われると、信徒の列は静かな波を打った。傍観者の吾々も厳粛荘厳な雰囲気の中にいた。
「下村ひろし集」
自註現代俳句シリーズ三( 一七)