今日の一句
- 十二月四日
鶴守の背筋正して古稀となる 上野 燎 八代には毎冬行き、鶴を見、弘中氏と話をする。眉の白くなったこの人は「もう古稀です」と笑った。
「上野 燎集」
自註現代俳句シリーズ九(二一)
- 十二月三日
天に舞ふもの絶えてなき落葉以後 篠田悌二郎 欅も銀杏も、澄み切った空に聳えて、休息に入っている。もう蝶も来ないし、鳥も来ない。
「篠田悌二郎集」
自註現代俳句シリーズ一(一七)
- 十二月二日
岩鼻に冬白浪の平手打ち 山田みづえ 小気味いい浪の平手打ち。岩鼻はもちろん鼻白むのだった。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ・続編一五
- 十二月一日
蒼天に山芋の枯れすすむなり 伊藤いと子 日常見馴れているものでも俳句に親しむまでは気付かぬことが多い。この句もそうしたもののひとつである。枯れの美しさを初めて認識した作。
「伊藤いと子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三二)
- 十一月三十日
山晴れの十一月を口すすぐ 伊藤白潮 十一月は別名霜月といわれるように、冬のおとずれの月。空気が澄んで視界が効き、どこか哲学的な季節の香りに満たされる月。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 十一月二十九日
人の逝く冬の川幅見てゐたり 佐藤安憲 「冬の川幅」に「人の一生」を思った。
「佐藤安憲集」
自註現代俳句シリーズ一三(二四)
- 十一月二十八日
翁忌や「寿貞不仕合せ者」とのみ 有働 亨 芭蕉書簡集を読む必要があった。元祿七年、尼寿貞の死を聞いて猪兵衛へ宛てた書簡の一節の簡潔さに惹かれた。却って芭蕉の悲愁が溢れていた。
「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四(一二)
- 十一月二十七日
引綱の泛びて遠し蓮根掘 染谷秀雄 JR木更津駅傍にある大きな蓮田。蓮根掘りの最中。船を浮かせ蓮を掘っては載せる。畦まで遠く伸びた蓮根を積んだ舟の引綱が泛かんでいる。
「染谷秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三(三八)
- 十一月二十六日
穭田は枯れ急ぎをり低き風 南うみを 風が地を擦るようになると、穭は日ごとに枯れ色になる。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二(五)
- 十一月二十五日
きれぎれの冬のひかりが蛇口より 仲村青彦 人のいない公園の水道の蛇口。用もなく近寄って蛇口をひねった。
「仲村青彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(五八)
- 十一月二十四日
猫車大根積んでよろめけり 高橋悦男 どんな細い道でも通れる猫車は農作業には欠かせない。しかし大根のような重いものを運ぶと一輪車なのでよろよろする。
「高橋悦男集」
自註現代俳句シリーズ一一(三五)
- 十一月二十三日
筆を持つ右手に勤労感謝の日 本宮鼎三 一日に筆(ペン・鉛筆など含めて......)を持つ時間が私には多い。若いときは「ガリ版」の鉄筆まで持った。右手よありがとう。
「本宮鼎三集」
脚註名句シリーズ六(一)
- 十一月二十二日小雪
冬暖かチェロ坐る亡き父の椅子 伊藤トキノ 地方公務員だった父の書斎の椅子にいつも坐っていたチェロ。父の後姿によく似ている。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七(二三)
- 十一月二十一日
波郷忌へ陶の光の柿を剝く 渡邊千枝子 柿には香りがないという私に波郷先生は「陶器のような肌ざわりがある」といわれた。その言葉が頭を放れず、今では柿が好きになってしまった。
「渡邊千枝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三)
- 十一月二十日
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟 会社勤めで単身赴任を始めた頃の一句。子供の世話のかたわら、妻が旅行鞄を提げて訪ねて来た。私にとってはなつかしい一コマである。
小川軽舟 句集『朝晩』 二〇一二年作
- 十一月十九日
小春凪みづうみ越しに海は見ゆ 大屋達治 浜名湖北西の猪鼻湖畔・浜名佐久城址付近からの眺望。浜松市三ケ日の地は、大屋家の本貫。城主だったが、家康に降服、戸田氏銕家臣となる。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一(六五)
- 十一月十八日
清水寺の迫り上がりたる冬紅葉 石山ヨシエ 清水の舞台に立って辺りを眺めてから元の道へ下る。今度はせり出した舞台を下から見上げた。冬紅葉がどこまでも調和していた。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二(三七)
- 十一月十七日
十一月の税吏に向くる空気銃 斎藤 玄 なぜ十一月なのか分らない。しかし他の月では困るのだ。どうしても十一月でなければならない。十一月の税吏、十一月の空気銃で満足した。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二(一六)
- 十一月十六日
真鰈をきれいに食べて時雨れけり 福井隆子 お魚をきれいに食べられた時はとても気持がいい。鰈の白い背骨がすらりと残ったお皿が急に翳った。
「福井隆子集」
自註現代俳句シリーズ九(四九)
- 十一月十五日
合わす手の小さくずれて七五三 今瀬一博 「神様に二回礼!」、「二回手を打ちます」。親を見上げて真似をする。「手を合わせて神様にお願い事」。合わせた小さな手が少しずれていた。
今瀬一博 句集『誤差』
- 十一月十四日
一雨後の階の親しさ枯るる中 岡本 眸 十一月、真間山弘法寺で俳人協会吟行会。前夜の雨も晴れて爽やかな日和、盛会であった。
「岡本 眸集」
自註現代俳句シリーズ二(一〇)
- 十一月十三日
葛城の時雨に濡れし言葉かな 細川加賀 鶴関西支部鍛練会での作。坂道の先頭を行くのはいつも友二先生。この句、ひと口で言えば旅の感傷。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三(三一)
- 十一月十二日
一の酉一途な雨に流されし 大牧 広 酉の市はなぜか雨が多い。しかも本気になって降る。それでも大森の鷲神社はアーケードでだいぶ助かっている。露店の灯も印象深い。
「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六(五一)
- 十一月十一日
小春波ゆつたり海も呼吸して 田所節子 穏やかな小春の日の海。波もなく静かな海、ゆったりとうねりが寄せる、海の穏やかな息遣い。
「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三一)
- 十一月十日
大綿の一つが三つにやがて消ゆ 岸田稚魚 この虫、晩秋より初冬にかけて出づ。小さき綿のごときを負ひて飛べり。はかなくもあはれなり。
「岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ・続編三
- 十一月九日
老杉を楯とし庵冬に入る 舘岡沙緻 有志による吟行会で出雲崎その他を巡る。勉強になった。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七(一二)
- 十一月八日
ひらかれて旧約聖書冬に入る 長谷川双魚 創世記第一章に、「始に神天地を創り給へり。地は形なくしてむなしく、闇淵の面にあり。神光あれと言ひ給ひければ光ありき」とある。読むたびに心がひらかれる。
「長谷川双魚集」
自註現代俳句シリーズ三(二五)
- 十一月七日立冬
一の酉過ぎて蕎麦湯の淡き味 吉田鴻司 一の酉が来ると、何か慌ただしくなる気になる。知らぬうちに一の酉も過ぎてしまった。蕎麦湯を淡味と感じる年齢になったのであろう。
「吉田鴻司集」
自註現代俳句シリーズ三(三九)
- 十一月六日
ゆく秋の淋代の浜果て見えず 藤田直子 東奥日報の方に車で淋代の浜に連れて行っていただいた。砂浜が美しく、果てしなく続いていた。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三四)
- 十一月五日
ときをりに火の裏返る秋仕舞 古賀雪江 明日香の秋仕舞の様を見ていた。時々に火が裏返りつつ暮れ切るまで燻っていた。
「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二(一三)
