今日の一句

一月十八日
だまりといふかせにをり福寿草ふくじゅそう高橋桃衣

日が当たり、空気も動かない骨董屋のショーウィンドーに置かれている福寿草を、どこかで見た気がする。

「高橋桃衣集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二一)

一月十七日
まつられてかれにまぎるるわらへび宮津昭彦

市川市付近には辻切という風習が残っている。村の境界に藁で作った大きな蛇を懸け、災厄や厄病が村に入るのを防いだ。

「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ続編( 八)

一月十六日
大堰おおぜきみずみずかんかな松永浮堂

利根大堰に水が満々と湛えられている。大堰はしなうようにして利根川の流れを堰き止めている。広々とした水が盛り上がるように見える。

「松永浮堂集」
自註現代俳句シリーズ一二( 六)

一月十五日
どんどあぜどものゆらゆらす福神規子

今は終刊してしまった俳誌「雲母」に俳壇の近作として鑑賞していただいた記憶がある。寺家ふるさと村で見かけた小正月の行事だ。

「福神規子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四七)

一月十四日
餅花もちばな木花このはな佐久夜毘売来さくやびめきませ大石悦子

小正月、餅花を作る。しだれ柳の枝に、紅白の小餅を小さくちぎって付けると、花のように美しい。神話に登場する美しい名前の女神を思った。

「大石悦子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五九)

一月十三日
はつかがみいちじょうつましろ土生重次

鏡の前の一畳は、妻のつかの間の結界。

「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六( 三七)

一月十二日
のいろをふゆうみよりかえ井越芳子

三度目の大磯の左義長。真っ暗な海もその先も深い闇でしかない。その海の闇と火を見ていると、私の中で同じものになってゆく。

「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四八)

一月十一日
だいだいのあやうきをのせかがみもち檜 紀代

テコでも動かぬ鏡餅の貫祿。

「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五( 二五)

一月十日
初夢はつゆめおもせざるめでたさよ石山ヨシエ

この世の出来事とは思えないようなおぞましい夢だったように思う。思い出せないことがむしろ目出たかった。

「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三七)

一月九日
まるちてひとはつごと辻恵美子

主宰業は選句業。盆も正月もなく、寸暇を惜しんで丸を打つ。

「辻恵美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五六)

一月八日
なずな粥妻がゆつまきたりゆるぎなし水原春郎

仕来りは出来る丈きちんとしようと思っているようだ。美味しい薺粥が運ばれた。

「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)

一月七日
人日じんじつのまだつちつかぬたけぼうきながさく清江

新年に新しい竹箒をおろすのは実家の慣例だった。わが家の竹藪からの材料で、馴染の植木屋が、毎年上手に作り置いてくれた箒。

「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六〇)

一月六日小寒
なずなつまのほとりのまだけず淵脇 護

私たち夫婦は若いときから早起きで、正月七日ともなれば、妻は張り切って薺を叩いた。当然まだ厨には曙光は届いていなかった。

「淵脇 護集」
自註現代俳句シリーズ一二( 九)

一月五日
北斎ほくさい皺千しわせんじょうしゅくかな都築智子

片岡球子展「面構シリーズ」。歴史上の人物の顔をモチーフに、深く対象の内側に踏込んで人間解釈を加えた、気迫溢れる肖像画。皺の葛飾北斎像。

「都築智子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四五)

一月四日
あらたまの安騎野あきのやみてて永井由紀子

繞道祭のあと、すぐ大宇陀町へ。「東の野にかぎろひの立つ見えて」の柿本人麻呂の碑の辺りに、焚火をして初日の出を待つ人たちの影がうごめく。

「永井由紀子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三六)

一月三日
卓囲たくかこきゅう勾配こうばいさんにち伊藤敬子

にぎやかにあっという間に三ヶ日は過ぎてしまう。楽しいことはすぐ終ってしまう。急勾配をすべりおちてゆくようにあっけない。

「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ五( 五)

一月二日
はつもうでバスごとくぐる大鳥おおとり中村姫路

よくある光景。大型バスが悠々とくぐって行く。ちょっと不謹慎な気分でもある。

「中村姫路集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四三)

一月一日
はつあかりそのままいのちあかりかな能村登四郎

七十四歳になる元朝。この辺りより詩魂いよいよ燃え、真底俳句が面白く楽しいと実感し、多作にもなる。初あかりが差し込んだとき、ますます俳句に燃焼し全うしたいと思い、命を惜しまれたのであろう。穏やかで平安ながら内なる激しいものがある。 (北川英子)

 
「能村登四郎集」 脚註名句シリーズ二( 五)

十二月三十一日
火気絶かきたちてねむるひとりの大晦おおみそ菖蒲あや

ガスの栓もした。煉炭の火も絶えた。全く火の気のないひとりの部屋。寝て起きればもうお正月である。

「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二( 一九)

十二月三十日
満目まんもくまつ横光よこみつ石田波郷

横光利一は昭和二十二年十二月三十日に逝去した。「横光さんの俳句についての折にふれての言葉は、私を益々俳句の中へひきずりこんで行った。私が横光利一氏を師といふのはこの為である」という波郷の言葉がある。六度目の入院中の句。

「石田波郷集」
脚註名句シリーズ一( 四)

十二月二十九日
老残ろうざんのベレーゆるがずとしくれ小林康治

外遊した友人がよくベレーを買って来てくれる。冠って歩いているうちに人に進呈したり、取られたりもする。

「小林康治集」
自註現代俳句シリーズ二( 一五)

十二月二十八日
枯菊かれぎくえんいろきにけり皆川白陀

小菊の根分を貰って来て崖の上に植えたら、見事な臙脂の花を咲かせた。枯れたのを刈り取って焚いたら、えんじの匂いがするようであった。

「皆川白陀集」
自註現代俳句シリーズ四( 四八)

十二月二十七日
吊皮つりかわ用納ようおさめのをゆだね北見さとる

あるいはゆるくあるいは固く握りしめられ数多くの人々の心音に触れる。吊皮。

「北見さとる集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二五)

十二月二十六日
白息しらいき語気ごきとなしゆくなみうえ進藤一考

もともと性情は激しい。その性情を押えて難関に立ち向う決意を固めていながら、白息には語気が表われた。

「進藤一考集」
自註現代俳句シリーズ二( 二〇)

十二月二十五日
抹殺まっさつせんすぐ虎落もがりぶえ殿村莵絲子

潔い抹殺の線を引いて虎落笛は容赦ない。危く難を免れたが油断は出来ない。

「殿村莵絲子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二二)

十二月二十四日
きょうちゅうあいかげせいげき那須乙郎

同志社女子中・高生等によるクリスマスペーゼント、毎年見ながら感激かわることなし。

「那須乙郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 三五)

十二月二十三日
うまれきてもなくせいただねむる宮津昭彦

長男は十二月二十三日に生まれた。足のうらに「宮津」とだけ墨で書かれ、新生児室で無心にねむっていた。看護婦は「宮津ベビー」と呼んだ。

「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ一( 一六)

十二月二十二日冬至
ちやんちやんこよく似合にあはれしせんかな森田 峠

阿波野青畝のことを、ちゃんちゃんこがよく似合われたなと偲ぶ。自分はどうだろう?ちゃんちゃんこに漂う先師の柔らかな雰囲気をうらやましく思われたのか。峠の心の中を覗いたような気がする。峠はシンプルなシャツが似合い、そんな句を作られた。( 村手圭子)

 
「森田 峠集」 脚註名句シリーズ二( 一)

十二月二十一日
ペン胼胝だこつきなか柚子湯ゆずゆかな草間時彦

俳人という職業は居職。坐って書いてさえいれば、なにがしかの銭になる。歳時記執筆という仕事にこの年も暮れてゆく。

「草間時彦集」
自註現代俳句シリーズ三( 一三)

十二月二十日
ふところしてなにはぬかおのユダ成瀬桜桃子

月桂樹は勝利の象徴なのに花言葉では「裏切り」花の色がユダの着衣と同じ黄色だからである。ユダが首をくくったユダの木はマメ科の花蘇枋だ。

「成瀬桜桃子集」
自註現代俳句シリーズ一( 一四)