俳句の庭/第2回 二月の花 片山由美子

片山由美子
1952年、千葉県生まれ。1979年より鷹羽狩行に師事。1980年 「狩」入会ののち、同人を経て2018年まで副主宰。2019年「香雨」創刊、主宰。「毎日俳壇」選者。2007年、俳人協会評論賞、2013年、俳人協会賞を受賞。句集に『飛英』ほか6冊。評論集、対談集、エッセイ集、入門書など著書多数。最新刊は『季語を知る』(角川選書)。公益社団法人俳人協会常務理事。
 二月の花といえば、まず梅である。梅に鶯というように、梅は春告草、鶯は春告鳥、どちらも春の到来を告げるものとして、古来みやこびとは待ち焦がれていたのである。
 現代の我々も、春はまず梅を詠みたいと、梅園や梅の咲く庭園に出掛けたりしている。そんなときよく目にするのが、梅の木の下に福寿草が咲いている光景である。自生している福寿草が開花期を迎えるのは、ちょうど梅の咲く頃なのだ。
 そんなとき必ず訊かれるのが、福寿草を季語として詠んでもいいかということである。答えは「ノー」。「実際に咲いているのになぜダメなんですか!」と食い下がってくる人もいるが、これが季語というものの約束であり、日ごろ私が言っている「季語は現実を追いかけない」ということである。
 新年の季語となっている福寿草は、正月に開花するように人工的にコントロールされたもので、太陽を思わせる金色の花を元日に咲かせようという発想は見事だ。これが成功して、福寿草は正月の花となり、別名を元日草という。ただし、旧暦の時代には新年そのものが約一ヵ月先なので、さほど難しくはなかっただろう。
 福寿草が春になって野外に咲いている姿は正月とは別の趣であり、季語としての「福寿草」ではない。春の日を浴びて輝く福寿草は、眺めるだけでもよいのではないだろうか。