俳句の庭/第13回 母のダリア  西山 睦

西山 睦
昭和21年生宮城県多賀城市生まれ。昭和53年「駒草」に入会。阿部みどり女に師事。平成15年 「駒草」主宰を蓬田紀枝子より継承。平成16年より河北俳壇選者。俳人協会理事。日本文藝家協会会員。句集『埋火』『火珠』『春火桶』など。父は二代目「駒草」主宰八木澤高原。

 小学校四年から中学一年まで札幌で過ごした。父の転勤のためだが、冬はスキーを、夏は積丹半島の海で泳ぎ、五月にはライラックの咲く社宅で充実した札幌時代を送った。ただ一つ、社宅の庭に独身寮の管理人さんがやってきて庭いっぱいダリアを植えていくのが嫌だった。子どもの眼には淫靡な華やかさが好きになれなかった。やがて札幌から横浜に。隣家が映画の輸入会社の人だったので試写会の切符が回ってきた。試験の前日でも母親と試写会へ出かけ、日吉駅でばったり先生に会ったりもした。
 横浜へ来た年の春、流しの植木屋さんが来た。庭に好きなのを植えますよということだった。母は札幌時代が懐かしかったのか、薔薇とダリアを頼んだ。乾いた庭に鍬を入れ、紐で区割りをして植木屋さんは丁寧に植えていった。水を施した畝がくっきりと眼に残っている。やがて薔薇は花をつけたが、ダリアは待てど暮らせど音沙汰がなく、とうとう芽を出さなかった。掘り返してみると確かに見覚えのダリアの球根。騙されたことを知った母が怒ったかどうか、そうした母を父が責めたのかどうか記憶にない。ダリアを調べてみると、球根のどこから芽が出てくるかよく観察して植えないと全く芽が出ないという。天竺牡丹ともいうダリア、花言葉には「優雅」「気品」があるが「裏切り」もあることを知った。