俳句の庭/第36回 むかさり絵馬 西山 睦

西山 睦
昭和21年宮城県生まれ。昭和53年「駒草」入会。平成16年より「駒草」主宰。 俳人協会理事。詩歌文学館評議委員。日本文藝家協会会員。河北新報俳壇選者。 句集『埋火』『火珠』『春火桶』

やませ来るいたちのやうにしなやかに

          佐藤 鬼房『瀬頭』平成4年

 ある六月のこと、仙台で乗ったタクシーの運転手さんが事も無げに「今日はやませで」と言う。白い靄が帯のように流れるのかと外を見るが、どんよりとした空が広がっているだけであった。土地の人には肌身で感じられる季節の風のようだ。やませは初夏から七月にかけて海からやってきて、東北地方に凶作をもたらす冷たく湿った風だ。最高気温でも20度を越えない日が続く。

 この凶作の酷さを実感したのは、岩手の遠野を訪れた際、当地に住む人に「むかさり絵馬」の話を聞いた時だ。凶作で娘を売らざるを得なかった時代、親は結婚できないと知っている娘を思い、空想上の豊かな結婚生活を描いた絵馬を奉納したというもの。綺麗な着物を着、ご馳走が並べてある極彩飾の絵だ。「迎え、去る」から来た「むかさり」であろうか。親の身勝手さに喉が詰まって苦しくなった。

 ところが今「むかさり絵馬」を調べてみると山形県最上川流域に伝わる、何かの理由で結婚せずに亡くなった主に男子のための絵馬とある。凶作や娘を売るという語彙はどこにもない。遠野のむかさり絵馬はどこに消えてしまったのだろうか。鬼房の句の末尾「しなやかに」の後に省略されているものは何なのか。絵馬に限らず、抹消された悲しい歴史が鬼房の胸にあったことは確かである。