俳句の庭/第94回 草取り 能村研三
| 能村研三 1949年、千葉県市川市生まれ。1976年より福永耕二に師事。 「沖」入会ののち、同人を経て2013年から主宰を継承。国際俳句交流協会副会長、千葉県俳句作家協会会長。「朝日新聞千葉版俳壇」選者。「読売新聞」地方版選者。「北國新聞」俳句選者。1997年、俳人協会新人賞を受賞。句集に『鷹の木』ほか7冊。他にエッセイ集。公益社団法人俳人協会副会長兼理事長。 |
川筋に住むゆゑ朧庭にくる 登四郎
真間川に程近いところに我が家があり、父登四郎は自ら「鳰亭」という名をつけた。道路からのアプローチが長く、私道から庭を通って玄関に入るのだが、庭にきてしまう。父登四郎も気分が乗った時に庭に出て、草を刈るなど気ままにガーデニングを楽しんでいた。原稿書きなどで疲れた体の気分転換にはちょうど良かったのかも知れない。お盆のころと年末には、植木屋が入り手入れをしてくれるのだが、あとはこまめに雑草取りなどをしなければならない。
私は若い頃は庭の草取りなど全くしなかったが、最近は朝時間を見つけては草取りをするようになった。特に私道部分にはびこる十薬も白い可愛らしい花を咲かせるので、花時が終わるまではそのまま刈らないようにしている。
考へるための草取り続けをり 研三
最近は庭の草取りをする時も、手は動かすものの頭では違うことを考えている。草取りなどの単純作業は、思考を妨げる刺激が少ないため、内省的な思考に集中できる。脳がリラックスした状態になることで、普段は気づかないような発想が生まれたりすることもある。
草取りは、自然と向き合う時間を提供し、庭の手入れを通じて、自然の音や香りを感じることで、心が落ち着くと同時に、日常の喧騒から解放され、単調な作業であるため、瞑想的な状態に入りやすく、心を整える効果がある。さらには適度な運動としての側面もあり、体を動かすことで脳内のエンドルフィンが分泌され、心地よい幸福感を得ることができる。
摘草や拾ひ始めは一羽毛 研三
