俳句の庭/第91回 川とバナナの皮 岸本尚毅
川を見るバナナの皮は手より落ち『五百句』
この句は「ホトトギス」昭和十年一月号の「武蔵野探勝」に「川を見るバナゝの皮は手より落つ」という形で出てくる。前年の十一月四日に隅田川界隈で得た句だ。じっさいの季節は晩秋だが、季語の「バナナ」は夏。その場の季節感に応じて詠むなら「秋の川バナナの皮は手より落つ」とする手もあったろうけれど、「バナナ」という季語がありさえすればよいというのが虚子流だ。
「ホトトギス」昭和十年十一月号の「句日記」では、この句は「川を見るバナゝの皮は手より落ち」と改められている。この句と同じ日の「武蔵野探勝」で得た「櫓をこぐや川岸の鉢菊見ながらに」も、「句日記」では「櫓をこぐや川岸の鉢菊眺めつゝ」に改まっている。虚子は「武蔵野探勝」の当日の句会に投じた句を、「句日記」に記すさいに細部を直したのだ。
上五を「川を見る」で切ったうえで、下五を「手より落つ」と終止形で止める形も、ぼそぼそと呟いているような感じで悪くない。それでも虚子は、終止形の「落つ」を、連用形の「落ち」に直した。「手より落ち」という連用形で止めると、そこからまた上五の「川を見る」へと言葉の流れが循環するような感じがする。じっと川を見続けている気分を表すには、下五を終止形で切らずに、連用形でいいさすのも良さげではある。
「落つ」か「落ち」か。これが自分の句だったら迷いに迷うところだ。
