俳句の庭/第91回 川とバナナの皮 岸本尚毅

岸本尚毅
1961年岡山県に生まれる。現在「天為」特別同人・「秀」同人。(公社)俳人協会理事。角川俳句賞選考委員、岩手日報・山陽新聞俳句欄選者など。著書に『岸本尚毅作品集成I (Kindle版)』(ふらんす堂)、『文豪と俳句』(集英社新書)、『露月の百句』(秋田魁新報社)『十七音の可能性』(KADOKAWA)。編著に『室生犀星俳句集』(岩波文庫)、『新編 虚子自伝』(岩波文庫)、『俳句講座 季語と定型を極める』(草思社)など。

   川を見るバナナの皮は手より落ち『五百句』
 この句は「ホトトギス」昭和十年一月号の「武蔵野探勝」に「川を見るバナゝの皮は手より落つ」という形で出てくる。前年の十一月四日に隅田川界隈で得た句だ。じっさいの季節は晩秋だが、季語の「バナナ」は夏。その場の季節感に応じて詠むなら「秋の川バナナの皮は手より落つ」とする手もあったろうけれど、「バナナ」という季語がありさえすればよいというのが虚子流だ。
 「ホトトギス」昭和十年十一月号の「句日記」では、この句は「川を見るバナゝの皮は手より落ち」と改められている。この句と同じ日の「武蔵野探勝」で得た「櫓をこぐや川岸の鉢菊見ながらに」も、「句日記」では「櫓をこぐや川岸の鉢菊眺めつゝ」に改まっている。虚子は「武蔵野探勝」の当日の句会に投じた句を、「句日記」に記すさいに細部を直したのだ。
 上五を「川を見る」で切ったうえで、下五を「手より落つ」と終止形で止める形も、ぼそぼそと呟いているような感じで悪くない。それでも虚子は、終止形の「落つ」を、連用形の「落ち」に直した。「手より落ち」という連用形で止めると、そこからまた上五の「川を見る」へと言葉の流れが循環するような感じがする。じっと川を見続けている気分を表すには、下五を終止形で切らずに、連用形でいいさすのも良さげではある。
 「落つ」か「落ち」か。これが自分の句だったら迷いに迷うところだ。