俳句の庭/第48回 お水取りと春の月 佐怒賀直美

佐怒賀直美
[略歴]昭和33年茨城県古河市生まれ。昭和57年埼玉大学学生句会に参加、松本旭に師事し「橘」に入会。大学卒業と同時に「橘」の編集に参加、編集長を経て平成27年「橘」主宰を継承。元高校教諭(平成21年50歳を機に自主退職)。俳人協会理事・俳人協会埼玉県支部事務局長。句集『髪』『眉』『鬚』『心』など。「秋」主宰・佐怒賀正美は実兄。

 東大寺の修二会は3月を代表する行事の一つである。二月堂の回廊から突き出され燃え盛るお松明はもちろん迫力満点だが、その内陣で2週間にわたって行われている、練行衆と呼ばれる僧侶達による、永遠の時空を越えた幽玄なる荒行が、実に魅力的なのである。
 一般の人がこの内陣に入るのはなかなか難しいようだが、有り難いことに私は、松本旭に連れられて2度ほど入ることを許された。
 この荒行には様々なものがあり、旭はそれぞれの時間帯をすっかり頭に入れていたから、何度か内陣に出入りしながら、お目当ての行をたっぷりと拝ませていただいた。
 3月とは言え、お水取りが始まると急に冷え込むようになると言われており、この時もかなりの厳しい寒さであったが、身を高々と跳ね上げ片膝を思い切り板に打ち付ける壮絶な「五体投地」や、内陣の中で火の付いた松明を引き摺り回す大迫力の「韃靼」などを眼前にすると、ふと我が身が異空間を漂っているような感覚となり、寒さなど忘れ、いつしか不可思議な世界に吸い込まれてしまうのであった。
 私が最初に訪れたのは昭和62年3月12日のこと。毎年この12日の夜には、「お水取り」の名の通り、本尊にお供えする香水が境内の若狭井から汲み上げられ、特に大きな籠松明も突き出される。その頃はまだ観光客も少なく、若狭井のあたりなどあちこちと旭と一緒に自由に歩き回れたことも、今にして思えば大変貴重なことであった。
 この年3月の満月は15日であったから、二月堂の空高くには、少しばかり歪な大きな春の月が、凍り付いたように張り付いていた。
  春の月練行衆は上堂す  旭(「松本旭日記」昭和62年3月12日より)