俳句の庭/第33回 さにし 仲村青彦

仲村青彦
昭和19年千葉県木更津に生まれる。昭和56年「朝」主宰・岡本眸に師事。平成29年「朝」の終刊により 「予感」を創刊する。「予感」主宰。俳人協会理事。句集に『予感』(俳人協会新人賞)『樹と吾とあひだ』『春驟雨』 『夏の眸』、評論に『輝ける挑戦者たちー俳句表現考序説ー』(俳人協会評論賞)。

 晴れれば自衛隊基地のラジオ体操が聞こえる。東京湾からの風の日はことさらよく聞こえる。ラジオ体操は8時13分からで、いつも13分からという不思議を何かの席で話題にしたら、機動隊も8時13分からだと教えられた。
 私の住む沿岸地域はもとは半農半漁だった。冬は海苔の収穫の時期で、このころ凪がつづく。朝暗く海へ出て海苔を摘み帰り、朝食もそこそこに海苔つけをし天(てん)日(ぴ)で乾かす。このフル回転の日々に、凪は天の恵みだ。海苔が終る3月は、風になる。夏に入ると風は強くなって何日も何日もつづく。夏は南風とは知識の世界のこと、この地域のこの風は東京湾からの西寄りの風、「さにし」と呼ばれる。
 風が強ければ漁はしない。漁協が放送で「ひまち」を告げる。「ひまち」(日祭)は休日のこと。主婦は茶菓子を持ち合って茶話会をし、老人は気心知れた家に出掛ける。風でなければ縁側の世間話なのが、風の日は、仕切りをしない木の家に、風に負けない笑い声が充満し酒がぷんぷんする。外に追い出された子供に、風の通りにしゃがんでいる婆さまが言うーー「こん風じゃあ、やあばんね」と。「やあぶ」は「あゆむ」の方言だが、ただの〈あるく〉でなく〈目的地まであるく〉ということ。「やあっべさ」「やあばんね」と話した老人たちはその言葉とともにいなくなった。「さにし」に歩いて鉄屑集めをしていた子供は、しけった菓子をもらったお返しに婆さまに煎餅をおごったこともあった。
 いまは「さにし」が吹くだけになった。