俳句カレンダー鑑賞  平成30年11月

俳句カレンダー鑑賞 11月
小春日のたとへば母の膝の上 蟇目良雨

 なにしろ行ったきり帰って来た人がいないので確かめようがないのだが人は死の真際、その人の人生が映像となって駆け巡る、という話を聞いたことがある。そうなのかも知れないな、と近頃は思う。言葉と違って映像は裏切らないからだ。
 たとえばこの句、鑑賞を試みて多様な言語をもって接近してみても、違和感を拭えぬまま失敗し遂には言語化する虚しさに至るはずである。
 つまり、人にとって極めて大事な映像は本質的に言語を拒否しているのである。そうである以上この様な句はそっとしておく他なく、ただ呪文や念仏のように唱えればいいのだ。その後に来る大いなる安らぎのために。
 一方で戦争、災害、その他の事情により生涯、母の像を結ぶことが出来ない人がいることを、忘れてはならない。(小野寺清人)
小春日のたとへば母の膝の上

蟇目良雨

 社団法人俳人協会 俳句文学館571号より