俳句カレンダー鑑賞  平成29年9月

俳句カレンダー鑑賞 9月
蟋蟀の跳ぶ名刺屋の活字函 木村里風子

 一読してまず注目したのが「活字函」。これはすでに遠い過去のものになった活版印刷に用いられたもの。これを扱う名刺屋の店内には「蟋蟀」が跳ねているという。それだけで時代背景がおよそ分かるが、終戦で兵役を解かれ、間もなく、原爆で焦土と化した広島へ帰還したという作者の経歴に照らすと、情況が一層明らかになる。即ち、名刺屋の窓越しに、復興の緒についたばかりの焼野原が拡がっている。その景は当時十五、六歳だった私も記憶している。
 人生の再出発に当たり、名刺屋に足を運んだ若き日の作者の希望と不安が交錯した心境。それを象徴的に示す「活字函」。それに配する「蟋蟀」という季語の斡旋が実に見事である。
 広島の平和祈念の最も魁というべき作品として、胸に深く刻んでおきたい。(八染 藍子)
蟋蟀の跳ぶ名刺屋の活字函

木村里風子

 社団法人俳人協会 俳句文学館557号より