今日の一句:2026年01月

一月一日
雪卸ゆきおろしして元日がんじつもなかりけり宮下翠舟

妙高山麓の父の生家に遊び、雪国の生活の厳しさを実感した。それでも正月らしい馳走を作り、燃え盛る大炉を囲んでの一家団欒の一刻は楽しい。

「宮下翠舟集」
自註現代俳句シリーズ三(三三)

一月二日
なかおこ風雲初ふううんはつかい林 翔

「沖」の連衆が一月二日に小宅に集まる慣わしが出来た。置酒高談だけの時もあり、小句会を開く時もある。この日は席題「中」で小句会。

「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三(二六)

一月三日
つるあゆむ二日ふつかあぜのうすみどり米谷静二

鶴も結構いろいろな角度から詠めるものだと思う。しかし本当は、やはり、まともに鶴自体に挑戦しなければならないのである。

「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五(二九)

一月四日
初夢はつゆめ鶴守つるもりとなりつるとなり山口 速

「狩」の新年句会でスコンクだった句。その時は下五が「鶴の中」で当り前すぎた。改作で少し感じが出たかも......。

「山口 速集」
自註現代俳句シリーズ六(一六)

一月五日小寒
年酒ねんしゅ無為むいをこそさちとして小川斉東語

古稀を迎えるのを機として、会社勤めをすべてやめる決心をした。限りある余生である。健康であるうちに旅行などして、楽しみたいと思った。

「小川斉東語集」
自註現代俳句シリーズ六(八)

一月六日
かんたまごひところがりに戦争せんそう藺草慶子

世界情勢がきな臭くなってきた日々。一月六日、「東山魁夷―わが愛しのコレクション展」を観る。会場を出た時、なぜかこの句となった。

「藺草慶子集」
自註現代俳句シリーズ一三(三七)

一月七日
人日じんじついわはわれのははなるやま桜庭梵子

津軽に住み、何処に居ても岩木山は見える。信仰の山で、津軽人の母なる山である。岩木山を見るとき、ふるさと津軽を感ずる。

「桜庭梵子集」
自註現代俳句シリーズ八(三五)

一月八日
なずな粥妻がゆつまきたりゆるぎなし水原春郎

仕来りは出来る丈きちんとしようと思っているようだ。美味しい薺粥が運ばれた。

「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(六七)

一月九日
枕草まくらのそうをかしをかしとはじ西嶋あさ子

清少納言と紫式部は同時代の人。「をかし」について言えば、清少納言の方が人間の幅が広い。言語と人間の結びつきの妙を卒業論文で知り得た。

「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八(七)

一月十日
こえせてひついち筆始ふではじ能村研三

書道は余り得意ではないが、正月の筆始めの瞬間心に秘めた「声」を乗せて、最初の一文字を書き出した。心の中で練り上げたものを、いよいよ形にする。その最初の、緊張と期待が入り混じった瞬間である。

能村研三  令和七年作

一月十一日
亀甲きっこうひびきちとぞかがみもち山崎祐子

一月十一日の鏡開きに鏡餅を下げて汁粉にした。鏡餅は包丁で切ってはいけないという。罅も入っており、手で砕くのも容易だ。

「山崎祐子集」
自註現代俳句シリーズ一三(三六)

一月十二日
かど辺掃べは成人せいじんははとして山尾玉藻

掃除は好きな方である。この日はお向いやお隣の前の道も心をこめて掃いた。

「山尾玉藻集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三一)

一月十三日
はついずみ穀作こくづくりをやすらげぬ平畑静塔


山梨県での作品。前年暮から正月を河口湖畔のホテルで過ごした。富士に降った雪は溶けては山麓に湧き富士湧水として麓の五穀を稔らせる。「初泉」は泉から汲む初水。新年の泉を言祝いだ句である。(福嶋 保)

 
「平畑静塔集」 脚註名句シリーズ二(三)

一月十四日
冠着山かむりきかぜにのりたる吉書きっしょながさく清江

姨捨伝説の冠着山の麓で、小正月のどんど焼をやっていた。炎は更に風を呼んで、炎屑は冠着山の上空まで昇っていった。

「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)

一月十五日
小豆あずきがゆすこしぼうをしたりけり草間時彦

中国の人が粥を愛する気持が、このごろ判って来た。なずな粥と違って、小豆粥は明るい。「なづな粥すこし寝坊をしたりけり」では句にはならない。

「草間時彦集」
自註現代俳句シリーズ三(一三)

一月十六日
ぼんにもぼんにもあらず福寿草ふくじゅそう清崎敏郎


対象の景物を一切除去して表面にあるのは「福寿草」だけである。福寿草の本性を包み込んだ情緒と、その名のもつ縁起のよさが融合して、「非凡にも凡にもあらず」と詠まれた叙法の芸の深さに瞠目した。品格の高い福寿草が彷彿としてくる。(井上喬風)

 
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二(二)

一月十七日
としより田舎いなかまひのはつもうで寺島ただし

前年の暮に、世田谷より千葉県鎌ケ谷市に転居、「これからは田舎暮らし」の感を深めた。市内の八幡神社にて。

「寺島ただし集」
自註現代俳句シリーズ一二(二三)

一月十八日
一月いちがつはしらくぎくすりばこ宮田正和

近江や大和が近いせいもあって配置薬を沢山預る。冬になると風邪薬や貼り薬を沢山入れてある。

「宮田正和集」
自註現代俳句シリーズ六(一三)

一月十九日
こいかんみず藤本安騎生

水中で動かない鯉の眼には、生命の集約の光があった。水がもたらす功徳を思って寒の水を飲む。

「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八(一六)

一月二十日大寒
大寒だいかん太刀たち魚光うおひか魚市うおいち早川とも子

浦安の魚市場。市場は朝早いから九時頃行っても大方の魚は売り切れで、十時頃はもう店仕舞の支度である。太刀魚が三本光っていた。

「早川とも子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三四)

一月二十一日
大寒だいかんかんまれてかん松尾隆信

昭和二十一年一月十三日生まれ。一応戦後生まれだが、団塊直前の希少価値世代。妻は三歳下の十四日生まれ。団塊のどまん中生まれで、酒は弱い。

「松尾隆信集」
自註現代俳句シリーズ一一(六二)

一月二十二日
ちちとしてねむかんにゅうびん有働 亨

赤ん坊が生れてからの深夜の哺乳は私の仕事であった。馴れぬ手付では赤ん坊も仲々飲んでくれなかった。寒夜の睡たさの中で、私は懸命だった。

「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四(一二)

一月二十三日
竹林ちくりんつらぬかんにちから中村姫路

「寒の日」か「寒の日」か迷ったが、掲句に落着いた。

「中村姫路集」
自註現代俳句シリーズ一二(四三)

一月二十四日
冬菊ふゆぎくばばじじ命日めいにち田島和生

村外れで、老女が少し枯れた菊を剪っている。「今日はお爺さんの命日や」と。

「田島和生集」
自註現代俳句シリーズ一一(四〇)

一月二十五日
かわぶくろわかれもわかこえかはし大津希水

日比谷公園句作。皮手袋の細い手を挙げて別れの声をかけ合っている若いカップルに出逢った。さらりとした若々しい声が印象的であった。

「大津希水集」
自註現代俳句シリーズ四(一三)

一月二十六日
凍晴いてばれかがみすみめくれさう和田順子

感覚を追求するあまり、こんな句も作った。

「和田順子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一五)

一月二十七日
はたはたやまはたはたすべ本井 英

「夏潮」池袋句会。「鰰」が兼題に出ていた。西武デパートの鮮魚売場へ「鰰」を見に行った。そのぬるっとした感触から、水揚げを想像した。

「本井 英集」
自註現代俳句シリーズ一二(一六)

一月二十八日
全身ぜんしんゆきをはうきではぎとす新田祐久

傘をさしていても雪は全身にこびりつく。手で払ったくらいでは落ちない。ほうきではぎ落とさねばならない。

「新田祐久集」
自註現代俳句シリーズ五(二四)

一月二十九日
凍滝いてだきのかすかなどうありにけり伊東 肇

茨城県北部の大子町にある袋田の滝は、寒中には全面氷結する。それでも縷々と流れ落ちる水音のする所がある。

「伊東 肇集」
自註現代俳句シリーズ一一(三八)

一月三十日
いちだにひかりこぼさずじゅひょうりん辰巳奈優美

旭川へ向かう列車。厳寒の朝は、車窓から目が離せない。樹氷林は深閑と、白い朝日を反射するでもなく、光を閉じ込めた神殿のようだ。

「辰巳奈優美集」
自註現代俳句シリーズ一三(一〇)

一月三十一日
瀧山たきやま氷柱つららのハープかみ檜 紀代

映画『アマデウス』は時代考証も行きとどき、楽器も当時のものを用いた。ピアノ一つみても、まことにチャチなもの。

「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五(二五)