今日の一句:2025年12月
- 十二月一日
蒼天に山芋の枯れすすむなり 伊藤いと子 日常見馴れているものでも俳句に親しむまでは気付かぬことが多い。この句もそうしたもののひとつである。枯れの美しさを初めて認識した作。
「伊藤いと子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三二)
- 十二月二日
岩鼻に冬白浪の平手打ち 山田みづえ 小気味いい浪の平手打ち。岩鼻はもちろん鼻白むのだった。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ・続編一五
- 十二月三日
天に舞ふもの絶えてなき落葉以後 篠田悌二郎 欅も銀杏も、澄み切った空に聳えて、休息に入っている。もう蝶も来ないし、鳥も来ない。
「篠田悌二郎集」
自註現代俳句シリーズ一(一七)
- 十二月四日
鶴守の背筋正して古稀となる 上野 燎 八代には毎冬行き、鶴を見、弘中氏と話をする。眉の白くなったこの人は「もう古稀です」と笑った。
「上野 燎集」
自註現代俳句シリーズ九(二一)
- 十二月五日
- ふところ手してものみなに負けてゐぬ
大竹きみ江 自分の無力さを思い知って却てさっぱりした。手足を引っ込めた亀の子姿のふところ手の私。
「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三(八)
- 十二月六日
竹の主河童百図のちやんちやんこ 椎橋清翠 鶴川村能ヶ谷の石川桂郎居を初めて訪ねた折りの作。「晩稲稲架解きゐる鶴川村に入る」も同作。
「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七(三六)
- 十二月七日大寒
魂にかしづく如くマスクして 佐藤麻績 マスクをすると自分の内側へと心が働く、そして魂そのものに従いたいと思う。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二(二五)
- 十二月八日
北風を軽しと思ふ日暮れけり 今井杏太郎 人は、いろいろに吹く風に、さまざまな名をつけては楽しんでいる。俳人協会新人賞を受賞した岡本高明さんなども、その一人であろう。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)
- 十二月九日
人の影みな円錐に夜の焚火 土生重次 焚火の逆光に引く影は、人を奇怪な生き物のようにしてしまう。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六(三七)
- 十二月十日
大根焚あつあつの口とがりけり 草間時彦 この年の十二月十日鳴滝了徳寺で催された大根焚の行事に何人か連れ立って行った折の数句の中の一句。婆世界という句もある。若い人が少ないのかも。大勢の人々が湯気の中でフウフウ言いながら大鍋を囲みつつの風景だったのだろう。冬日の中で。(山田みづえ)
「草間時彦集」 脚註名句シリーズ二(一)
- 十二月十一日
山椒太夫の街を露人の毛皮帽 和久田隆子 上越の港にはロシアの船が入港していた。街中をミンクの毛皮帽のロシア人が歩いていた。
「和久田隆子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(二四)
- 十二月十二日
風邪重くならむ舗道にはしる罅 岡田貞峰 風邪気味のやり切れない心の投影。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四(一四)
- 十二月十三日
抱けば白菜生きものの声を出す 神原栄二 白菜を買って抱えようとする瞬間、「きゆっ」と鳴った。生あるものの歓喜と受けとめた。
「神原栄二集」
自註現代俳句シリーズ六(二八)
- 十二月十四日
裏藪にひよどりを溜め義央忌 小笠原和男 「義央忌」は吉良上野介義央公の忌日。毎年十二月十四日に、華蔵寺で盛大に法要が行われる。「忠臣蔵」は今も御法度。
「小笠原和男集」
自註現代俳句シリーズ六(二六)
- 十二月十五日
義士祭ことしは遠き旅に出でず 石田小坡 国語科を中心とした機関紙「花鳥会報」が滝山・樋田両教諭の尽力によって刊行された。泉岳寺や有栖川公園等が吟行地だった。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六(五二)
- 十二月十六日
空澄むをうべなうて野の枯れゆけり 松村蒼石 冬もなかば十二月中旬、街は歳末気分が漲る頃好晴の大空はいよいよ澄みにすみ底知れぬ深さを見せる。野もまた人もなげに枯れてゆく。
「松村蒼石集」
自註現代俳句シリーズ二(三七)
- 十二月十七日
星を打つ矢を何本も熊祭 岩淵喜代子 「ににん」では火や灯の行事を追っていた。北海道の熊祭は極寒の十二月だった。
「岩淵喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三五)
- 十二月十八日
闇汁の蓋に乗りたり闇の小人 長谷川かな女 かな女の家ではよく闇汁の会をやった。十二月十八日、麗和句会の闇汁会だった。「蓋は鼠に一寸喰われましたが五十年からの鍋ですよ」「こりゃ繭の糸をとる鍋だな」「冗談でしょう闇汁専門の鍋ですよ、零余子時代からの逸品ですぞ」その夜の会話の一こま。
「長谷川かな女集」 脚註名句シリーズ一(一二)
- 十二月十九日
忘れし文字探しにたちて白障子 平井さち子 もの忘れの激しい年齢になった。殊に文字を忘れることしきり。辞書を繰る間に、はや探したい文字を忘れてしまうこともしばしば。
「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三(二八)
- 十二月二十日
国訛りみな威勢よき年の市 小島左京 東新潟火力発電所の関係の仕事をしていた頃、よく新発田や豊栄の市に出掛けた。年の市ともなれば近郊近在の人々でごった返す賑やかさだった。
「小島左京集」
自註現代俳句シリーズ八(五)
- 十二月二十一日
村人等酒に舌焼く十二月 有馬朗人 ストーニブルックを辞し、日本へ向う。パリでセミナーの後、何人かでモンサンミシェル、カルナックへ行く。カルナックは古代巨石文化の中心。
「有馬朗人集」
自註現代俳句シリーズ四(四)
- 十二月二十二日冬至
かかづらふ一事師走のひと日消す 塩崎 緑 うまく事が運ばずとうとう師走の一日が消えてしまった。貴重な一日を失ってしまった嘆きの句でもあり、ドジな自分への自嘲の句でもある。
「塩崎 緑集」
自註現代俳句シリーズ六(一〇)
- 十二月二十三日
椰子揺れて海ある街や虎落笛 岸本尚毅 南国情緒を狙ってヤシを植えた海辺の小都会。いつしか町は古び、冬は海風に吹きさらされる。そんな町が淋しくも懐かしい。
岸本尚毅
- 十二月二十四日
まだ若しまだ若し交す年忘 及川 貞 このように言い交し、自分自らも老いを思いたくなく楽しんで一刻を過し、またの一年を期す。
「及川 貞集」
自註現代俳句シリーズ二(七)
- 十二月二十五日
塵埃車聖樹無惨に運び去る 那須乙郎 クリスマスに子供たちに買い与えた聖樹、終ればすぐ忘れ去られる聖樹、ただ芥となるだけ。
「那須乙郎集」
自註現代俳句シリーズ四(三五)
- 十二月二十六日
数へ日やふもとは雪の舞ひしのみ 中村雅樹 長野県の南木曽である。山の頂上付近はうっすらと白くなっていた。〈山の雪胡粉をたたきつけしごと〉という虚子の句を、魚目先生が口にされた。
「中村雅樹集」
自註現代俳句シリーズ一三(二〇)
- 十二月二十七日
年用意父に大壺運ばせて 朝倉和江 正月花は父の好みで大きな花になる。大きな壺は私には持てないから父に運ばせることになる。会社ではいばっている父を使うおかしさ。
「朝倉和江集」
自註現代俳句シリーズ五(二)
- 十二月二十八日
水仙の一花をさして除夜とせり 向笠和子 商人の大晦日は遅い帰宅である。社宅の小さな床の間の鶴くびの花瓶に水仙のみを挿す。軸は波郷師の「凧の下母の手織の絣欲し」である。
「向笠和子集」
自註現代俳句シリーズ五(六〇)
- 十二月二十九日
一本の冬木をめがけ夜の明くる 望月 周 経験した昼夜逆転の日々。深夜の孤独な作業。自分に真っ先に夜明けが迫ってくるという錯覚。そんなわが身を冬木に置き換えた作。
望月 周 2010年作 句集『白月』
- 十二月三十日
大晦日は昔も今もさむき夜ぞ 大野林火 是非「おおつごもり」と訓ませたい。提灯をさげた掛取りも嘗て目にした。しもた屋もこの夜はどこか引緊る。大晦日はただの夜ではない。
「大野林火集」
自註現代俳句シリーズ一(二九)
- 十二月三十一日
狐火の王子二丁目角曲り 髙田正子 大晦日には関東八州のお狐様が王子稲荷に集結するのだとか。このとき角を曲ったのは私だが、狐もそうするのかと思ったら可笑しくなったのだ。
髙田正子 2013年作
