今日の一句:2025年09月
- 九月一日
稲妻の夜毎に険し葛みだれ 千代田葛彦 傍若無人、旺盛な繁殖力を見せた葛も、ようやく衰えと乱れを見せはじめる。夜毎の稲妻がそれを促しているのだ。
「千代田葛彦集」
自註現代俳句シリーズ二(二五)
- 九月二日
美しく老い男郎花をみなへし 小林輝子 木を伐ると翌年はその斜面に男郎花が沢山咲き出す。だが女郎花の咲く野原がめっきり少なくなってしまった。しきりと老いを考える。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九(二二)
- 九月三日
憚らず食ひ水蜜桃甘し 樋笠 文 水も滴るような水蜜桃は、丸ごと食べるに限る。ナイフを用い、恐る恐る剝いて食べるのは、性に合わない。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四(四〇)
- 九月四日
林出てすぐ萩隠る密猟者 林 翔 箱根仙石原所見。まだ猟期が来ていないのに猟銃を持つ男を見た。急ぎ足で萩叢のかげに消えたのも密猟だからであろうか。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三(二六)
- 九月五日
黍風や一茶も憩ひし土蔵裏 雨宮昌吉 湯田中の全国大会での作品。一茶旧居にこごみ込んで、黍畑からの涼風に憩い一茶存命の往時を偲んだ。「枝蛙親し一茶は情の人」もその時の句。
「雨宮昌吉集」
自註現代俳句シリーズ四(三)
- 九月六日
井戸水を濁し台風去りにけり 藤本安騎生 村の水道が前まで来ているが、わが家は井戸水一本である。高見山から出て来る清浄な水である。高見山頂の神を瀬織律比売と申し上げる。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八(一六)
- 九月七日白露
ぬかみそに手入れ颱風の進路きく きくちつねこ 母は糠床を上手に管理していた。毎晩台所の仕事が終ると、明日のために胡瓜や茄子を入れた。私も手伝うときがあったので、こんな句も出来た。
「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三(一一)
- 九月八日
みみなりは生きゐる証曼珠沙華 高﨑公久 ある年齢になると急に耳鳴りを覚える。私は何歳からか覚えていないが難聴になった。困ったものである。
「高﨑公久集」
自註現代俳句シリーズ一三(三二)
- 九月九日
尖塔の不死鳥翔む大野分 山田孝子 憧れの碌山美術館へも。
「山田孝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三九)
- 九月十日
鰯雲澄み父として子を寝かせてゐる 晝間槐秋 同時作に〈病んで遠くを見ない子に鰯雲〉。三男の積(つもる)が、父親の結核性を受けたか、眼を病んで、それを背負った祖母の通院する姿も。
「晝間槐秋集」
自註現代俳句シリーズ五(五〇)
- 九月十一日
吹かるるに芒やさしく芦荒く 下村梅子 芒は風の吹くままに靡くが、芦はそうは行かない。まるで抵抗するかのように全身で搖れる。わずかに花がなびくのである。
「下村梅子集」
自註現代俳句シリーズ二(一八)
- 九月十二日
偏差値を見る秋の夜の虫眼鏡 三嶋隆英 長男の高校時代か。偏差値などというものが横行して、非難を浴びながらもそれを無視出来ない現実。重い気持で週刊誌などに出ている数値を見る。
「三嶋隆英集」
自註現代俳句シリーズ八(四二)
- 九月十三日
サフランのうすむらさきの服喪かな 藤本美和子 令和元年九月十三日、母逝去。昭和元年生れの九十三歳だった。庭の片隅に毎年花を見せてくれるサフランに紫が好きだった母を思った。
藤本美和子 令和元年作(『冬泉』所収189ページ)
- 九月十四日
湖国より雨の近づく葉鶏頭 吉田鴻司 鶏頭に対して葉がとくに美しく、八、九月頃に緑色だった葉が深紅、黄色、紫色などに鮮やかに色づき、斑入りも多く美しい。いま琵琶湖より雨が近づきつつある。そのためか、色とりどりの葉が燃えたつようにいっそう鮮やかであった。
「吉田鴻司集」 脚註名句シリーズ二(一六)
- 九月十五日
梅干飴ころんころんと敬老日 角川照子 毎年敬老日に、町内会から母に贈られる罐入りの梅干飴。敬老日にウメボシ、とは皮肉にもとれる。母は八十三歳。
「角川照子集」
自註現代俳句シリーズ五(一三)
- 九月十六日
山車につく婆前垂れに梨包み 菖蒲あや 九月十五、十六日が氏神様の祭礼日で、孫の曳く山車にはお婆さんが寄り添うように蹤いていた。前垂れには子供たちに配られた梨があった。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二(一九)
- 九月十七日
鳳作忌のどに冷きハイボール 高島筍雄 篠原鳳作の忌は九月十七日。この日、大聖寺駅前で、ひとりハイボールをのむ。
「高島筍雄集」
自註現代俳句シリーズ四(三〇)
- 九月十八日
南瓜忌に早き南瓜の花黄なる 福原十王 南瓜忌は石井露月の忌、九月十八日。露月は秋田県に生まれ、子規門。後、帰郷して医師となる。日本派四天王の一人。昭和三年五十六歳で病没。
「福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四(四二)
- 九月十九日
台風の雲押しきたる子規忌かな 長谷川耿子 子規忌は九月十九日。丁度その日は台風の北進する日に当り、黒雲が押しきたるという感じだった。
「長谷川耿子集」
自註現代俳句シリーズ七(二四)
- 九月二十日
肩に来て歌へよ帰る日の燕 坂本宮尾 横浜港で詠んだ。ちょうど秋燕は南の国へ向かうところ。長旅の前に、私の肩に止まって、日本で見たことを聞かせてほしいと思った。
坂本宮尾 句集『ゆるやかな距離』 2018年
- 九月二十一日
長居せば髪白くなる芒原 山口 速 同所。昔日の賑いが嘘のように、一面の芒が荒涼と吹かれていた。そのままたたずんでいたら、髪が白くなるどころか、気がヘンになりそうだった。
「山口 速集」
自註現代俳句シリーズ六(一六)
- 九月二十二日
鶏頭の肉色獄の塀の外 土生重次 中学生の頃住んだ堺の家は、東洋一と言われた堺刑務所の近くだった。体操の時間、高く長い塀に沿ってゆく駆け足が苦手だった。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六(三七)
- 九月二十三日秋分
秋怒濤纒ふものなき智恵子の碑 角田独峰 千葉県九十九里浜での林間俳句学校は珍しく秋口になって行われた。護岸工事中の荒涼たる砂浜の中に智恵子の石碑が一つぽっんと残されていた。
「角田独峰集」
自註現代俳句シリーズ五(二三)
- 九月二十四日
虫鳴くや海峡の闇岬の闇 池田秀水 同前。函館の立待岬。「天に星沖に烏賊火の揃ひたる」も同時作。
「池田秀水集」
自註現代俳句シリーズ六(四八)
- 九月二十五日
多摩川や鮭群来群来と昼の虫 伊藤いと子 鮭が川を遡ることがニュースの話題になった。多摩川の中州の虫たちもそのことを喜んでいるようであった。川の水は以前よりきれいになった。
「伊藤いと子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三二)
- 九月二十六日
秋の蠅見出し一字になりきつて 村上沙央 新聞の周辺をうるさく飛んでいた蠅が、つと姿を消した。一瞬目眩ましと思ったら見出しの一字に乗っていただけのこと。
「村上沙央集」
自註現代俳句シリーズ一二(二〇)
- 九月二十七日
爽やかに仕事ができる体かな 小川軽舟 この句を作った十年前は、私はサラリーマンだった。今は俳句が仕事である。どんな仕事でも爽やかな季節は爽やかに働ける健康が何より。
小川軽舟 句集『朝晩』 2015年作
- 九月二十八日
半世紀の母の糠床虫しぐれ 中川靖子 結婚する時に母から分けて貰った糠床。糠を足しながら母のように、毎日糠床を掻き回して早半世紀が経った。
「中川靖子集」
自註現代俳句シリーズ一三(三三)
- 九月二十九日
秋蝶や風の柱の螺旋階 橋本榮治 四階建の研究棟に外付けされた螺旋階段、そこを秋の蝶が羽も動かさずに舞い上って行く。螺旋階段の中がまるで風でできた柱のように思えた。
「橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二(四〇)
- 九月三十日
霧深き谷製材の鋸唸り 泉 紫像 手取ダムからの帰途、濃霧に包まれフォグランプを点灯していても危険極まりない。何も見えない道端の製材所は平常通りの作業を続けていた。
「泉 紫像集」
自註現代俳句シリーズ一一(二)
