今日の一句:2025年08月
- 八月一日
目がゆきぬ夕べの合歓とうべなひて 星野麥丘人 八月一日、村山古郷氏逝く、の前書あり。ぼくが練馬へ移ってきたのが昭和三十四年で、それ以来、親しくおつき合いさせていただいた。
「星野麥丘人集」
自註現代俳句シリーズ・続編一二
- 八月二日
掛り鮎嗅げば西瓜のにほひせり 右城暮石 この頃、安騎生さんは鮎釣りに暮石を誘い出すことが多かった。みずから釣った鮎を川原で焼いて食べてもらうためである。この句、吉野川の支流、高見川での作。「先生、西瓜の匂いがします」と釣り上げた鮎を先生の前に差し出した。(吉沢紀子)
「右城暮石集」 脚註名句シリーズ二(八)
- 八月三日
ひかるもの谿に降りゆく避暑名残 岩永左保 小諸の懐古園。あまり手入れされていない木々が爽やかである。小諸といえば句友の市川葉さん。このときもお世話になった。
「岩永左保集」
自註現代俳句シリーズ一二(二八)
- 八月四日
平らかに鳶炎熱の羽広ぐ 佐怒賀直美 「炎熱」とは凄まじい季語である。「炎熱忌」といえば草田男の忌日。そう言えばこの「鳶」にも何となくその面影があったような。木更津での作。
佐怒賀直美
令和六年作 「橘」五六四号
- 八月五日
夕爾忌をきのふに広島忌を明日に 西嶋あさ子 木下夕爾「灯の記憶 広島原爆忌にあたり」を読む。〈町の曲り角で/田舎みちの踏切で/私は立ち止って自分の影を踏む〉。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八(七)
- 八月六日
天より父母地より吾見る揚花火 品川鈴子 神戸港の天をとよもす花火。人界から天上へのメッセージ。美しいものは、きっと観ている筈の両親。手を引かれて仰いだ花火も懐しい。
「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五(四二)
- 八月七日立秋
秋立つや吾れより高き子と歩む 岩下ゆう二 まだ夏休み中の末の子と、ふと、連れ立って歩くことがあった。立秋の日だった。私よりもすっかり丈高くなっている子であった。
「岩下ゆう二集」
自註現代俳句シリーズ四(一一)
- 八月八日
立秋やものみな水を渡るごとし 高橋沐石 空気が澄み、滾々と清らかな水が流れる。秋になると人の営みも具象物も、全てが水をくぐり水を渉って進行するように私には思える。
「高橋沐石集」
自註現代俳句シリーズ四(三一)
- 八月九日
白木槿淋しき花となりにけり 藤木倶子 相次いだ身内の不幸に、この世の無常を感ぜずにはいられなかった。白木槿が、こんなにも淋しい花だったのかと思われてならなかった。
「藤木倶子集」
自註現代俳句シリーズ八(二一)
- 八月十日
法師蟬逸りやすきを律し鳴く 辰巳奈優美 毎年の初秋、裏庭の桜桃の木で鳴き、朝の窓を楽しませてくれる。ツクツクボウシのテンポが速すぎると、自ら律するように鳴き収めるのが常。
「辰巳奈優美集」
自註現代俳句シリーズ一三(一〇)
- 八月十一日
朝顔が日ごとに小さし父母訪はな 鍵和田秞子 一時期、朝顔を沢山庭に咲かせていた。或る朝、冷えびえとした冷気を肌に感じ、小輪になった朝顔を見ながら、不意に老父母に逢いたいと思った。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五(一一)
- 八月十二日
濡れ髪の妻が戸口に稲の花 本宮哲郎 三十度を超す暑さの中に稲の小さな花が開く。それも一つ一つ別々に咲く。午前十時頃から午後一時頃までの約三時間ほどのドラマである。
「本宮哲郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(八)
- 八月十三日
挨拶は語尾をにごして魂祭 桜井筑蛙 お盆でのあいさつ。特に新盆の家での挨拶は語尾がにごり、半分で終ってしまう。
「桜井筑蛙集」
自註現代俳句シリーズ一二(一七)
- 八月十四日
もてあそぶ白檀の数珠生身魂 伊藤秀雄 妻の両親は百歳前後まで長寿を全うした。娘ふたりを赤子のうちから世話をかけて見てもらい、尽くせぬ恩がある。
「伊藤秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三(一)
- 八月十五日
終戦日父の日記にわが名あり 比田誠子 倉敷市水島の戦闘機工場に国民兵として務めていた頃の日記。「子よ孫よ」で始まる高揚した強い筆致は当時の緊迫した情勢を伝えている。
「比田誠子集」
自註現代俳句シリーズ一二(二九)
- 八月十六日
敗戦日出羽には鳴かぬ法師蟬 土屋巴浪 法師蟬は、千葉には多かったが、山形にはごく限られた地区にしか居なかった。前句と共に新樹賞入選句中の一句だが、法師蟬が話題になった。
「土屋巴浪集」
自註現代俳句シリーズ八(二九)
- 八月十七日
燈籠の舟に積まれて重さなし 西山 睦 灯籠を山と積んだ舟が流灯のために上流へ。義父の名を書いた灯籠もその中に。魂に重さがないように吃水は沈まなかった。多摩川での事。
西山 睦 『埋火』平成二年作
- 八月十八日
烏賊干せる軒より精霊舟出づる 野崎ゆり香 島根県西ノ島町は漁師町である。五色の紙を飾りつけた本船には僧も乗り、お経を唱えながら沖へ向う。
「野崎ゆり香集」
自註現代俳句シリーズ六(六)
- 八月十九日
八月や昔ながらに真鯉飼ひ 前澤宏光 八月は帰郷の月。人々はこぞって故郷へ帰る。自分も、その一人。そもそも、ふるさととは何なのだろう。
「前澤宏光集」
自註現代俳句シリーズ一一(五一)
- 八月二十日
残業となる十名に遠蜩 森川光郎 工場は阿武隈川の支流に立っていた。職場によって残業があった。川辺に夕日がさして蜩が鳴いていた。
「森川光郎集」
自註現代俳句シリーズ一二(一五)
- 八月二十一日
ひぐらしや塗り重ねゆく輪島椀 大島民郎 能登へ吟行。「短夜や雪止のせし能登瓦」という句も作ったが、その屋根の下で気が遠くなるほど何回も塗り直す輪島塗の丹念さに瞠目した。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三(七)
- 八月二十二日
水没ときまり溝萩枯れつくす 井上 雪 未発表五十句で「角川俳句賞」次点になった〝水没する村〟のなかの一句。以下十二句、白山麓五ヶ村の水没を詠む。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五(三六)
- 八月二十三日処暑
水引の紅にふれても露けしや 山口青邨 大学を定年退職後、生活習慣も変り落着きをとり戻して庭に降り立つ。どこかの吟行地から掘って来たのか、移し植えた水引草がよく根づき茂り、初秋の朝露にびっしり濡れ、赤い色が目立っているさまを感激して見ている姿がありありとしのばれます。(いそ子)
「山口青邨集」 脚註名句シリーズ一(二〇)
- 八月二十四日
流星も入れてドロップ缶に蓋 今井 聖 今井 聖 句集『バーベルに月乗せて』
(2007年刊)2006年の作
- 八月二十五日
銀漢や函を得しかに嬰の眠り 神尾久美子 路地の午下り、隣家の母衣蚊帳に透くようにねむっていた嬰児。そのまま美しい星夜になれと。
「神尾久美子集」
自註現代俳句シリーズ四(一八)
- 八月二十六日
わが影のとうに先ゆく秋の風 佐藤麻績 秋風の句は多いが好きな自作と言えそうだ。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二(二五)
- 八月二十七日
能登遠き灯のまぎれつつ天の川 原 柯城 立山。澄みきった夜空に広がる天の川。その裾はるか、やや黄をおびて、星とともにまたたくのは能登の灯らしい。ふけてしげくなるまたたき。
「原 柯城集」
自註現代俳句シリーズ六(三九)
- 八月二十八日
英雄の雄叫び吸はれ星月夜 江口井子 ギリシャ文学の川島重成先生の案内で、エウリピデスの悲劇『狂えるヘラクレス』を観る。古代劇場は満天の星の下。
「江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一(二八)
- 八月二十九日
寝巻の子七夕竹に出て遊ぶ 清崎敏郎 朝起きた寝巻のままの子が七夕飾りを見にゆく。あるいは寝る前にもう一度見にゆく様子である。七夕飾りに目を輝かせ嬉しそうにしている子供が目に浮かぶ。七夕行事にはしゃぐ子供を具体的な言葉で捉えた確かな写生の句。(稲荷島人)
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二(二)
- 八月三十日
露の世へ生きの身赤く風呂上がる 伊藤白潮 やや身ぶりが多い句。もっと句の贅肉を削らねばと思うのだが。ともかく風呂好きな私である。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 八月三十一日
残り蟬いくばく橘中佐の忌 本宮鼎三 日露戦争で戦死した旧静岡聯隊の墓地が私の家の近くにある。ここに不死男先生を案内したとき、「君の句の世界だ、大切に......」といわれた。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六(一)