今日の一句:2024年10月
- 十月一日
鈴生りに通草は笑めり子無し村 佐藤安憲 山つつじの名所、県立公園高柴山に上ると山つつじの群落に通草が蔓を伸ばし鈴生りに実をつけていた。
「佐藤安憲集」
自註現代俳句シリーズ一三(二四)
- 十月二日
鮎錆びて渦の天竜川淀みけり 田口三千代子 天竜川の川下りをした夜は、グループ六人でテーブルを囲んでの食事。今では、貴重な思い出となって残っている。
「田口三千代子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三七)
- 十月三日
吾亦紅持てる涙をもて泣けり 向笠和子 「さる事ありて」と前書。口惜しい涙がとめどなく流れた。吾亦紅の季語が受けとめてくれたのがうれしい。
「向笠和子集」
自註現代俳句シリーズ五(六〇)
- 十月四日
吃水のなき船走り柳散る 廣瀨ひろし 深秋の中之島公園の写生句。公園は秋の薔薇が咲き残っていたが、川端の柳は散りそめていて、時折通る吃水の浅い水上バスや艀に降らせていた。
「廣瀨ひろし集」
自註現代俳句シリーズ六(四九)
- 十月五日
渡り鳥みるみるわれの小さくなり 上田五千石 渡り鳥を見送っていると、自分がみるみるうちに倭小化していくのを実感した。
「上田五千石集」
自註現代俳句シリーズ一(一五)
- 十月六日
こころもち懸崖菊の鉢廻す 橋本美代子 ある年懸崖菊の鉢を頂いた。わが懸崖菊となると最も美しき姿の位置で見たい。
「橋本美代子集」
自註現代俳句シリーズ一一(六四)
- 十月七日
材木町茅町に灯や鳥渡る 小原啄葉 一本町の中ほどで材木町・茅町と町名が分かれていた。城下町盛岡の名残をとどめ、趣があったが、数年前に材木町に統一された。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四(一六)
- 十月八日寒露
塋域の一本松や鵙日和 福本鯨洋 山ふところに村の寺がある。墓地に一本の松の老樹がある。その梢に止まった鵙が誇らかに高音を張っている。一片の雲もない秋日和である。
「福本鯨洋集」
自註現代俳句シリーズ三(三〇)
- 十月九日
数珠玉や遠くなりたる母のうた 縣 恒則 子供のころ、母はよく数え歌をうたい数珠玉遊びなどしてくれていた。優しかった母の姿もだんだん遠くなっていく。
「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二(一四)
- 十月十日
源流の太古の碧さ秋気澄む 石﨑宏子 伊豆の国市の柿田川湧水群。水の碧さは圧巻である。太古より続くと言われて初めて納得出来る深い碧。
「石﨑宏子集」
自註現代俳句シリーズ一三(六)
- 十月十一日
ととととと蟹の眼洗ふ秋の波 秋元不死男 南房総、館山での作。「コキコキの不死男」と異名をとったほどですから、これしきの擬声語では驚きません。眼を洗うのが秋の波で、そこに静かな澄明感があります。とび出たまま目ばたきのない蟹の目なので「とととと」につられて、それが滑稽感に変ります。
「秋元不死男集」 脚註名句シリーズ一(一)
- 十月十二日
秋晴の神戸に遊び須磨に暮れ 嶋田一歩 夏潮会の句会の明くる日。神戸の港や街をゆっくり歩き須磨へ。須磨で千原草之、叡子夫妻の銀婚式に招待され、播水夫妻、美穂女と祝賀句会。
「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五(三〇)
- 十月十三日
秋風や命婦にすがる願一つ 細見しゅこう 伏見稲荷奥社。命婦は稲荷神の使をする白狐の異称で、神への願いはすべて白狐が取りつぐという。命婦絵馬に書く。命婦という言葉にひかれた。
「細見しゅこう集」
自註現代俳句シリーズ四(四四)
- 十月十四日
秋うらら古書の匂ひのなかに彳つ 井上 雪 石川県立図書館一日館長を、国田太郎館長から拝命して緊張をした。古書の匂いがこもる地下の蔵書室では、足音もしのばせて歩いた。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五(三六)
- 十月十五日
十三夜野の花あはくけぶりそむ 朝倉和江 明るい灯の下にばかりいると、月光の下はまるで別世界にいるようだった。銀屏風に描かれた日本画の世界がそこに広がっていた。
「朝倉和江集」
自註現代俳句シリーズ五(二)
- 十月十六日
人の行く方へゆくなり秋の暮 大野林火 街頭で得たという。横浜駅西口を歩いているうちに、いつの間にか映画街を歩いている自分に気がついたという。映画を見るつもりは更々なかったので、呆けを意識したという。秋の暮がひびく。『戦後の秀句』を書きつつ「如何に老うるか」を考えたという。
「大野林火集」 脚註名句シリーズ一(一八)
- 十月十七日
口開けてほつたらかしの猪の罠 森田純一郎 檜原神社、玄賓庵、大神神社へと続く山の辺の道には句材となるものが多い。中に餌を撒いたままの大きな錆びた猪罠を見かけることもある。
森田純一郎 句集「街道」所収
- 十月十八日
等身を映す鏡の秋深し 黒坂紫陽子 出掛けに玄関の大鏡に全身を写して見た。何処か寂しげなのは、自身で感じているだけであろうか。
「黒坂紫陽子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一〇)
- 十月十九日
空は散るものに満ちたり菊膾 斉藤 玄 散ろうとして空を満たしたものは、木々の葉や木の実だけではない。無数の言葉も、無限の微塵も地上に散らんとしていた。
「斉藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二(一六)
- 十月二十日
奥の院より火種来る紅葉かな 鳥居おさむ やはり高くてやんごとない方向から降りて来るようだ。
「鳥居おさむ集」
自註現代俳句シリーズ七(三五)
- 十月二十一日
落枝にかくれし箒松手入 亀井糸游 倒しおかれている箒の上へ、しきりと松の枝を切り落している。あとで箒を探すことであろうと見ていた。
「亀井糸游集」
自註現代俳句シリーズ二(一三)
- 十月二十二日
木の実降る中の小さなカフェテラス 渡辺雅子 「青山」吟行で東大周辺を巡った。後で作った句だと思う。キャンパスに、カフェがあったかどうかは、忘れたが。
「渡辺雅子集」
自註現代俳句シリーズ一一(二六)
- 十月二十三日霜降
人目のがれ得ずなりにけり烏瓜 徳永山冬子 わが家近くの木立には烏瓜があるが、行人は知らない。然しこんなに真赤になっては人目につかぬ筈はない。果して今日は無い。
「徳永山冬子集」
自註現代俳句シリーズ二(二六)
- 十月二十四日
妻の歩のつまづき癖よ秋の暮 村上しゅら 妻はすこし窶れたようだった。病院をあちこち変えて通っていた。
「村上しゅら集」
自註現代俳句シリーズ三(三四)
- 十月二十五日
家にゐる子も遠き子も秋深き 日美清史 長男が広島へ赴任してすでに二年経った。二階の物音はどうやら末の子らしい。句友の角免栄児さんに賞めていただいた作。
「日美清史集」
自註現代俳句シリーズ七(三一)
- 十月二十六日
手入れまだ半ばの松にして匂ふ 山崎ひさを 子供の頃、龍土町界隈には、塀をめぐらした門構えのお屋敷が多かった。地下足袋に、手甲、脚絆という植木職人の出入りもよく見掛けた。
「山崎ひさを集」
自註現代俳句シリーズ・続編四
- 十月二十七日
咳きの誰彼となく黄落す 吉田鴻司 師、源義は十月二十七日に永眠。〈後の月雨に終るや足まくら〉が絶句であった。この日は後に「秋燕忌」と名付けられるのだが、作者はこの時は一切のものに頼る術を失い、咳きが波のように慟哭となった。窓外の銀杏もいっせいに散っていた(源義五十八歳)。
「吉田鴻司集」 脚註名句シリーズ二(一六)
- 十月二十八日
文芸に遠きなりはひ菊膾 太田寛郎 文科系を出たが、どう曲ったか、鉄の腐れ代だ、縮み代だのと、文芸など毛ほども寄せつけない理工系の仕事がたつきとなってしまった。
「太田寛郎集」
自註現代俳句シリーズ九(八)
- 十月二十九日
うきうきと栗煮て晴れをうたがはず 神原栄二 栗を煮ている妻。子供が小学生の頃の、運動会の前夜にはこういった情景が、たびたびあった。
「神原栄二集」
自註現代俳句シリーズ六(二八)
- 十月三十日
杓入れて無尽蔵なる新酒汲む 行沢雨晴 池田の酒造会社呉春で杓を渡され「なんぼでも飲んでみなはれ」と言われた。
「行沢雨晴集」
自註現代俳句シリーズ九(一六)
- 十月三十一日
- あのことに触れざることの身にぞ沁む
福永法弘 忸怩たる「あのこと」に触れないように優しくされると、その気遣いがまた一段と身にも心にも沁みる。晩秋なればなお更である。
福永法弘 句集『福』所収