今日の一句:2024年07月
- 七月一日
連嶺の主峰雪置く山開き 大場美夜子 軽井沢から野尻湖へ。山開きがあるという山々のその一つにまだ雪が残っていた。その足で〈風鈴を雁木に吊りて城下町〉と高田へも廻った。
「大場美夜子集」
自註現代俳句シリーズ五(九)
- 七月二日
汗の往診幾千なさば業果てむ 相馬遷子 往診はそう多くはないが、夏の外出は身にこたえる。これを何千回したら、業が終るのだろうか。疲れの果にそう思うのである。
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一(一〇)
- 七月三日
跨げば小さし三尺寝の妻よ 前野雅生 昼寝をしている妻を思わず跨いでしまった。そのとたん、こんなに小さかったのかなと妙な気になった。苦労させているからな、とも思った。
「前野雅生集」
自註現代俳句シリーズ八(四九)
- 七月四日
隣町まで夕立の来てをりぬ 藤沢樹村 隣の日野市の上空まで、雨雲に覆われている。もう直ぐというより、いま直ぐにも夕立が降り出すと感じた。
「藤沢樹村集」
自註現代俳句シリーズ一一(四一)
- 七月五日
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ 野澤節子 節子の髪は多かったし、まだショートカットではなかった。シャワーが普及していなかったが、夏はたびたび髪を洗わなければならない。しかし、「せつせつと」丁寧に洗うのである。「眼まで濡らして」という措辞に、生へのひたすらさが込められる。
「野澤節子集」 脚註名句シリーズ二(六)
- 七月六日小暑
たはむれの妻の香水沁むごとし 村上しゅら 妻は、香水を用いることはすくなかったが、時に高価な香水を買ってきて、私をびっくりさせることがあった。
「村上しゅら集」
自註現代俳句シリーズ三(三四)
- 七月七日
案内僧汗の香もたず音もたず 柴田白葉女 案内をしてくれる若い僧侶は、俗人の若者が持つ汗くささや男くささは全くない。そして裸足で音もたてずに歩む。ふしぎなほどである。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一(二六)
- 七月八日
打水を大きく伸ばし路地に老ゆ 菖蒲あや 早く起きた者が周辺の水を撒く、この路地のよき習わしである。しかし大方はお婆さんで、いつの間にか私もその一人となろうとしている。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二(一九)
- 七月九日
汗ひとつ肘にむすびし写経かな 赤松蕙子 先の汗のさみしさと似ているようで、少し脱出している句。写経の筆を正しく構えて運んでいると、肘の所に溜ってくる。これ本当。
「赤松蕙子集」
自註現代俳句シリーズ三(一)
- 七月十日
水平線永遠に新し夏の航 小川軽舟 妻は二歳の娘を抱えて礼文島のお花畑を歩いた。若くて元気だったのだ。子供たちはあの水平線を覚えているだろうか。
「小川軽舟集」
自註現代俳句シリーズ一三(二三)
- 七月十一日
赤松の幹あたらしき昼寝覚め 上野さち子 赤松の幹のいろが、昼寝から覚めた眼に、さえざえと映る。
「上野さち子集」
自註現代俳句シリーズ八(三八)
- 七月十二日
雲の峯噴煙小さくなりにけり 大串 章 木曾御嶽の白煙。大きな峯雲の下ではそれも小さく見える。「蜂飼の早寝を照らす山の月」「草刈鎌雨したたかに過ぎにけり」などもその時の作。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五(七)
- 七月十三日
遥かなる帰帆も朱なり凌霄花 岡田貞峰 水平線の金色の帯を離れて、ヨットが岬に近づく。凌霄花と同じ朱色の夕べの帆。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四(一四)
- 七月十四日
甚平や一誌持たねば仰がれず 草間時彦 その頃の俳壇事情を揶揄した作で、評判になった。〈甚平や一誌持てども仰がれず〉といった偽作まで登場した。俳人協会事務局長に就任のあと「鶴」を辞し無所属で通した。江戸っ子気質の文人趣味の世界に遊んだ一面もある。(岡田日郎)
「草間時彦集」 脚註名句シリーズ二(一)
- 七月十五日
潮の香が好きで七月生れかな 杉森与志生 〈遠き帆や海の日はわが誕生日〉七月二十日が誕生日で句作に重宝していたのに祝日法が改悪されて日にちが一定しない。無定見な議員どもめ。
「杉森与志生集」
自註現代俳句シリーズ一一(一九)
- 七月十六日
汗のほかには味方なし汗滂沱 鷹羽狩行 人間本来無一物、その人間が生きてゆくには働かなければならない。「味方なし」を自覚して、さらにまた汗を出す。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一(二)
- 七月十七日
はればれと佐渡の暮れゆく跣足かな 藤本美和子 平成七年の夏、夫の赴任地新潟県柏崎市を子供達と訪ねた。鯨波海岸から佐渡を遠望した夕景。三十年経た今も色褪せることはない。
藤本美和子 『跣足』所収
- 七月十八日
炎天や頭中まつ赤な舌が棲む 山本古瓢 目まいを覚えるほどの暑さがあるものだ。炎暑に灼かれた頭の中に、ふと見えた幻想の舌である。
「山本古瓢集」
自註現代俳句シリーズ五(二八)
- 七月十九日
土用入大樹を伐りて運び去る 蓬田紀枝子 樹齢百年の発行所の柳が伐られた。アメリカシロヒトリがいのちとりになった。「何か今日は心が浮かない」と先生の日記にあり。
「蓬田紀枝子集」
自註現代俳句シリーズ五(五七)
- 七月二十日
路地深く住む表具師の裸癖 千田一路 大工から転職した異色の表具師。大柄な体に玉の汗を光らせながら、珍しい書画を次々と広げて見せた。不折の軸を譲ってくれたのも彼。
「千田一路集」
自註現代俳句シリーズ九(一)
- 七月二十一日
指環棲みついてゐさうな泉かな 櫂 未知子 毎年、誕生日に「指環」を買ってもらうのが恒例となっている。そのせいだろうか、「泉」に出合うと、指環が潜んでいないかとつい探してしまう。
櫂 未知子 作句年 2020年
「群青」『俳句年鑑』などに掲載
- 七月二十二日大暑
梅干で暑気を払ひて鹿島立ち 門脇白風 娘がアメリカ留学へ旅立つとき、母から梅干を食わされていた。娘は素直に食べて立ち出でた。帰朝まで効能がある訳でもあるまいに――。
「門脇白風集」
自註現代俳句シリーズ五(三八)
- 七月二十三日
髪切りが鳴く甲冑をきしませて 若木一朗 髪切りをつよく握るとぎぎと音を出す。これを甲冑をきしませてと詠ってみた。そして自分でもこれでいいと思った。
「若木一朗集」
自註現代俳句シリーズ六(七)
- 七月二十四日
七月や矮鶏の黒羽の青びかり 向笠和子 「七月や」と打出してこの句はすらりと出来た。七月とちゃぼの首の青い光りの衝合である。
「向笠和子集」
自註現代俳句シリーズ五(六〇)
- 七月二十五日
日盛りの禅寺の厠借り申す 伊藤白潮 黒羽に一泊し翌日雲厳寺に詣った。芭蕉の奥の細道で有名なこの寺は、森が深いが暑い日で体調を崩すほどであった。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 七月二十六日
酒蔵の片陰いづこよりも濃し 品川鈴子 灘の旧浜街道。古い酒蔵に挟まれた路地の風筋では、今も酒樽をこつこつ手で造る。酒どころならではの、宮水「沢の井」も湧く。
「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五(四二)
- 七月二十七日
かなかなのまつただ中へ転居せり 藤本安騎生 七月二十七日、東吉野村字平野は蜩の大合唱であった。庭先にある滝の水を飲み顔を洗った。ここが終の棲家なのである。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八(一六)
- 七月二十八日
浮輪ごと父に抱かる海暮れて 原田紫野 もっと遊びたいのに、とジタバタ暴れても父の太い腕を抜け出すことは出来ない。
「原田紫野集」
自註現代俳句シリーズ一二(一〇)
- 七月二十九日
月下美人座敷に移し主賓めく 佐藤俊子 頂いた月下美人が咲き初めたので座敷に移し、夫と愛でる。妖艶な匂いに孫は逃げ腰だった。
「佐藤俊子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四六)
- 七月三十日
誰も読まぬ電光ニユース夏の果 倉田春名 大都市の晩夏は虚しさに充ちている。疲れた勤め人達がそそくさと家路へ急ぐ夕暮、電光ニュースは無視されながら、また振出しに戻る。
「倉田春名集」
自註現代俳句シリーズ六(五三)
- 七月三十一日
はらからも番地も失せりサングラス 松山足羽 福井市錦上町六八(現在順化一丁目)で生れ転々とした。近年は帰郷する機会が増えたが町並はすっかり変貌した。サングラスを掛けて探っている。
「松山足羽集」
自註現代俳句シリーズ九(二〇)