今日の一句:2024年06月
- 六月一日
溝浚ひ妻が濯ぎの水通す 新倉矢風 下水道が完備する前は、道路沿いの下水は定時に各戸で溝浚いをした。妻が洗濯する石鹼まじりの汚水がすんなり流れて行く喜び。
「新倉矢風集」
自註現代俳句シリーズ六(四〇)
- 六月二日
楝散る天の睫毛をくもらせて 中村明子 楝は空高く、薄むらさきにけぶる花。まるで天の睫毛を伏せたかのように。
「中村明子集」
自註現代俳句シリーズ七(二六)
- 六月三日
田植焼けして口ごもる父兄会 市村究一郎 PTAでは何を言っても仕方がないことが多いのだが、何か言わないと教師に悪いような気もする。
「市村究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四(七)
- 六月四日
田植笠風が子守をしてゐたり 川口 襄 今の田植えは耕耘機が全盛だが、昔は家族全員が田圃に入った。若い母親は幼児を籠に入れて畦道に置いていたものである。
「川口 襄集」
自註現代俳句シリーズ一二(九)
- 六月五日芒種
早苗饗の婆鳴り龍に手を打てり 棚山波朗 高幡不動尊での句。大日堂の天井に、手を打つと唸り声をあげる龍が描かれてある。早苗饗の一団の中には婆の姿も。
「棚山波朗集」
自註現代俳句シリーズ七(四九)
- 六月六日
天へ開くこの六月の河口かな 源 鬼彦 石狩川の河口は広い。海ではなく、天へつながっているかの感。しかも六月。いかにも気分が良い。気宇壮大とはこのことと実感。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(四四)
- 六月七日
さやさやと瀬に足浸す遠郭公 久保千鶴子 貴船のふじやで川床料理を町さんたちと。足下の瀬の迅さ。藻の花。郭公。料理も五感で味わってこそ。
「久保千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ八(一一)
- 六月八日
廃鉱の水豊かなり枇杷熟るる 木村里風子 小粒な枇杷が熟れている廃鉱。廃鉱から出る水の量におどろく。
「木村里風子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一二)
- 六月九日
- あぢさゐに耳朶のつめたさありにけり
髙田正子 「藍生」から六月号へ十句出すようにと封書が届いた。せっかくだから紫陽花ばかりで詠んでみようと試行錯誤。〈あぢさゐの潦より立ちあがる〉他。
「髙田正子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三三)
- 六月十日
庭山をわたりて湯樋ほととぎす 三浦恒礼子 箱根芦の湯。鶯、ほととぎすを聞きながら、樹の間をあるく。源泉から引いた湯樋が、庭山を縦横に走っている。
「三浦恒礼子集」
自註現代俳句シリーズ四(四七)
- 六月十一日
寿命とはそれぞれのもの梅雨の蝶 成瀬正俊 すぐ死んでしまう者もあろうが、何時まで死なない者もある。それは寿命であってそれぞれのものである。群がった蝶のどれが短命か長命かいえぬ。
「成瀬正俊集」
自註現代俳句シリーズ四(三六)
- 六月十二日
どの道も退路の如し梅雨夕焼 今井 聖 今井 聖 作句年 2023年
- 六月十三日
銭洗弁天にして梅雨荒き 梶山千鶴子 ヨーガの仲間と鎌倉へ行った。大雨だった。逗子のなぎさホテルで泊った。その時同行の粟津加代子さんは亡くなられた。
「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七(七)
- 六月十四日
皮蛋というもの食つて梅雨ふかし 光木正之 中国の江蘇、浙江の名産で、どぶ卵、黒卵ともいわれる皮蛋。はじめて味わってみたときに生まれた句。
「光木正之集」
自註現代俳句シリーズ一一(二三)
- 六月十五日
木葉づく湯宿蔀戸おろしけり 小林輝子 六月十五日、夏油温泉で木葉木菟を器師夫妻とけいじ氏と聞いた。翌年も鳴いてくれた。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九(二二)
- 六月十六日
父の日の若き遺影を父と呼ぶ 山田孝子 私も息子も父を早くに失った。父の日はそれぞれに心に沁みる母子の一日である。
「山田孝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三九)
- 六月十七日
白あぢさゐいちばん重き色のまま 渡辺恭子 紫陽花の別名は七変化、然し白紫陽花だけは最後まで色を変えない。究極の白を貫き通す気魄を秘めて、霊光をうべなう白紫陽花の静けさ。
「渡辺恭子集」
自註現代俳句シリーズ七(四三)
- 六月十八日
濁流のしぶくところに栗の花 上田五千石 岩手県一戸、馬渕川にて。見たとおりの写生が素直に出来たためか、嫌にならない句。
「上田五千石集」
自註現代俳句シリーズ一(一五)
- 六月十九日
うつちやりをくらひし恋の水馬 平田冬か 水馬も恋をする。雄を乗せてすでにペアの成立している水馬に言い寄れば見事に撥ね飛ばされる。
「平田冬か集」
自註現代俳句シリーズ一三(二二)
- 六月二十日
- はてしなき海を背にしてオリーブ咲く
小川濤美子 淡路島ホテル「阿那賀」を会場として同人会を行った。淡路島の南端にある洒落たすばらしいホテルだ。建物のまわりにオリーブが植えられていた。
「小川濤美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五七)
- 六月二十一日夏至
六月の花嫁ミシンなどいらぬ 佐藤麻績 最近は花嫁道具にミシンはないようだ。幸せな六月の花嫁であればよい。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二(二五)
- 六月二十二日
行く水に易々と骸の螢捨つ 薄 多久雄 まさに水葬だが、本音を述べると、骸をさっと流れに投げ入れた刹那そう感じたのである。水葬だなと感じて、哀れだと思ったのである。
「薄 多久雄集」
自註現代俳句シリーズ七(一七)
- 六月二十三日
心眼を瞠いてをり黴の中 鈴木鷹夫 仏教に関心を寄せ、一時期座禅を組む数年があった。そのことに自分から蘊蓄を語ることは無かったが、句会の主宰席でも、句会後の酒席にあっても、言葉少なに頷き、穏やかなお人柄であった。人に語るより自分の内で聴きとる、心眼には黴もいのち。(佐藤左門)「鈴木鷹夫集」
脚註名句シリーズ二(一〇)
- 六月二十四日
捨て猫の声あぢさゐの蔭に聞く 渡辺雅子 松戸の本土寺へ吟行。この頃真間の手古奈さんにお住まいの増田好美さんから岸風三樓先生の「春嶺」という俳誌を見せて頂いた。
「渡辺雅子集」
自註現代俳句シリーズ一一(二六)
- 六月二十五日
いくたびも浮巣にこゑのかかりけり 小島 健 俳人には人気の浮巣です。浮巣など俳句をやらなければ、知らなかったことでしょう。芭蕉に〈五月雨に鳰の浮き巣を見に行かむ〉。
「小島 健集」
自註現代俳句シリーズ一二(一)
- 六月二十六日
鮎の性鵜の性さても人の性 大野鵠士 鵜飼というものは、とどのつまり人が鵜を使い、鵜が鮎を獲るという点で、殺生の二重連鎖と見なせないこともない。
「大野鵠士集」
自註現代俳句シリーズ一三(二一)
- 六月二十七日
蟻が蟻と闘ふ黒さ憎み合ひ 右城暮石 二匹の蟻が死闘していた。黒くて大きさも同じ位であった。相手を許さぬこの闘いが、何のためなのか分らなかった。
「右城暮石集」
自註現代俳句シリーズ二(四)
- 六月二十八日
薫風や楷書の父をなつかしみ 坂本宮尾 明治末の生まれの父は、もの静かな人だったが、埋め合わせるように母は賑やかだった。ふり返って父の生き方は楷書という気がする。
坂本宮尾 『別の朝』平成22年
- 六月三十日
あぢさゐの色の定まるまでを雨 西山 睦 雨が降れば降るほど精気を帯びてくる紫陽花。できればその色は青が好ましい。だが、青の絶頂期を止める術はない。
西山 睦 二〇二三年作
- 六月三十日
初孫の形代の長袂かな 立石萠木 初孫の麻衣が生れた。妻は「かぐや姫」だと喜んだ。形代に一人の名が増えた喜びを味わった。
「立石萠木集」
自註現代俳句シリーズ一〇(四八)