今日の一句:2024年05月
- 五月一日
夭折はすでにかなはず梨の花 福永法弘 四十代半ばの作。夭折が甘美に思えた若き日は遥か彼方。働き盛りといえば聞こえは良いが、どっぷりと濁世に浸る毎日。梨の花が白く眩しい。
福永法弘 句集『遊行』所載
- 五月二日
矢車の旧道を来る薬売 長田 等 近くの旧中山道沿いの旅人宿に富山の薬売りがよく来ていた。大きな黒い風呂敷包を背負って近所を巡っていた。近ごろはあまり見かけなくなった。
「長田 等集」
自註現代俳句シリーズ七(一八)
- 五月三日
葉桜一樹もて覆ふべし女人堂 吉野義子 高野山の女人堂のそばに大きなさくらが一樹ある。花を終ったばかりのその樹を見ていて、早く葉桜となり堂を覆いつくしてほしいと思った。
「吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四(五四)
- 五月四日
垂れ下り折り目の見ゆる鯉幟 品川鈴子 神戸も北区は静かな山里。無動寺―山田八幡郷社―箱木千年家を英会話仲間の家族連れで遠足。紙と鉛筆を配ると、大人も子供も楽しんで句作。
「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五(四二)
- 五月五日立夏
藤棚の花のこぼるゝ子供の日 今井杏太郎 風は雀の子に。花は人の子に。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)
- 五月六日
皿の墨すぐにかわくよ若葉風 星野立子 五月六日、二百廿日会。銀座裏、実花さん宅。
「星野立子集」
自註現代俳句シリーズ二(三三)
- 五月七日
袋掛したるもわれら早桃もぐ 尾亀清四郎 家の外庭の桃。花が咲いて五月には摘果をしながら袋掛をする。前夜新聞紙を切って貼った袋を句友にも掛けて貰う。六月にははや捥げる。
「尾亀清四郎集」
自註現代俳句シリーズ九(五)
- 五月八日
ワイシャツの衿こそいのち夏来たる 原田紫野 糊をきかせ衿先のピンと張ったワイシャツは男性のお洒落のイロハのイの字。懸命にアイロンで挑戦したこともあったが。
「原田紫野集」
自註現代俳句シリーズ一二(一〇)
- 五月九日
猫の眼の瑠璃色となり五月来る 梅田愛子 長男の孫かおるが、自分の給料で血統書つきの猫を飼っている。仔猫の時だったが、最近大きく重くなる。眼が美しい。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三九)
- 五月十日
衣紅きグレコのマリア五月来ぬ ながさく清江 トレドの大聖堂で、グレコの聖家族「紅衣のマリア」に魅せられて求めたマリアの絵を、自室に掲げ、七年経てようやく季語を得た。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)
- 五月十一日
聖母祭近き玻璃拭くマリア園 古賀まり子 長崎は三度目。一度目は垣間見たマリア園、二度目は修道女がガラス窓をみがいていた。三度目もまた。紫陽花が美しかった。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四(二二)
- 五月十二日
母の日や忙を楽しむ母にして 徳永山冬子 母の日と云っても常に変らず働いて休養することを知らない。多忙を楽しんでいるかのような母であった。この四年後に逝った。
「徳永山冬子集」
自註現代俳句シリーズ二(二六)
- 五月十三日
母の日のすがしその夜の満月も 下鉢清子 「母の日」と言う行事が定着したのも戦後が長くなったからだろう。嫁さんからブランド物の傘を頂いた。女の子とは良いものである。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七(三四)
- 五月十四日
生国は心に遠き卯波かな 鈴木真砂女 〈初凪やもののこほらぬ国に住み〉〈あるときは船より高き卯浪かな〉の生れ故郷安房鴨川に遠く、後半生のよりどころ銀座「卯波」にも腰痛のため立てなくなった。季語「卯波」に思いを託し、句帖にしたためた。どこまでも季語の鈴木真砂女であった。(あさ子)
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二(四)
- 五月十五日
激浪の渦の一花の白牡丹 きくちつねこ 激しい波が崖にぶつかって戻る時、たまたま渦を見せるところが五浦にある。庭の白牡丹を見ながらそのことを思い出した。
「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三(一一)
- 五月十六日
若楓影さす硯あらひけり 水原秋櫻子 この句の前に、「つれづれに硯あらふや燕子花」がある。この頃、祖父は時間の余裕を習字で過した。以前から、線の細い自分の字を悪筆と嘆いていたので、一念発起して字を練習した。凝り性だから墨も硯もいい物を選ぶ。後の円やかな太い字の始まりである。
「水原秋櫻子集」 脚註名句シリーズ一(一五)
- 五月十七日
朴の花瀬音聞かんとしてひらく 青柳志解樹 朴の花の開く瞬間は感動的だ。双眼鏡を覗いているときに、瀬音が聞こえてきた。自然はいつも共鳴しあっているのだ。
「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四(一)
- 五月十八日
ぽつかりと白き雲ある祭かな 小圷健水 三社祭の日、よく晴れた青空に真っ白い雲が一つ浮いていた。「ずうずうしい。無責任の良さ、悪さ」は「木曜会」での評。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二(三八)
- 五月十九日
風五月ももいろぺりかんももいろに 和田順子 ただそれだけのことを敢えて詠んでみる。
「和田順子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一五)
- 五月二十日小満
母がりの半日あまり桐の花 細川加賀 出張の折など、予告なしに一寸顔を出す。そんなことが多いから、半日あまり、は比較的長い時間なのである。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三(三一)
- 五月二十一日
照らされてゐる間も薔薇の傷みゆく 高橋桃衣 古河庭園の薔薇園は、五月中は夜も開かれる。盛りを過ぎてもライトアップされる薔薇は痛々しかった。
「高橋桃衣集」
自註現代俳句シリーズ一二(二一)
- 五月二十二日
安房五月波菜の樹といふ昆布嚙み 峰尾北兎 千葉の房総半島へ吟行。港町に入ったら波菜の樹という塩昆布を売っていた。その名が面白くて早速食べた。初夏の爽やかな味がして快かった。
「峰尾北兎集」
自註現代俳句シリーズ七(一)
- 五月二十三日
佇めば旅人めきぬ楠若葉 間中恵美子 千鳥が淵の高台に、楠の林があり、雨催の中ではなおさら楠の香が漂う。この清涼感が良い。都会の中のオアシス。
「間中恵美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四三)
- 五月二十四日
明るさが水の始まり朴の花 今瀬剛一 前にも言ったが私はすべての物の源に興味を持つ。朴の花が咲いて妙に明るい山奥、そこにしたたり落ちる水、この明るさは水の起源か。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六(三三)
- 五月二十五日
牡丹や子の忌の念珠握りしむ 本宮鼎三 子の忌の句を毎年作っていることは前に述べた。どうせ、私も結局、子の住んでいる所にいくことになるのだから、今は牡丹の美に引かれていよう。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六(一)
- 五月二十六日
突然の余花なり男旅二日 佐怒賀直美 〝中学校の同級生と福島へ旅す 四句〟中の一句である。コロナ渦以前から続いていた男六人での一泊旅が久し振りに再開された。
佐怒賀直美 「橘」五四九号所収
- 五月二十七日
祭来る町の用水鯉あそぶ 井上 雪 NHKのラジオで金沢の初夏の町を語った。一句をと所望され、億面もなく全国に披露した句。県庁前の辰己用水に鯉が放流されているのだ。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五(三六)
- 五月二十八日
紀の磯の茅花流しが荒れにけり 堀 磯路 白い絮をつけた茅花が雨まじりの南風に吹かれている。「茅花流し」の季語が頭に浮かんだ。紀州の磯は少しの風にも白波を立てる。
「堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五(五二)
- 五月二十九日
白牡丹総身花となりにけり 相馬遷子 庭に牡丹の古木がある。白牡丹で枝が丈夫、花の数も多く、毎年よく咲く。今年は特に多く、花で木がかくれるほどだ。
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一(一〇)
- 五月三十日
- まづテラス埋まる薄暑のニューヨーク
森田純一郎 冬の長いニューヨークの人達にとって薄暑は待ちに待った季節の到来であり、レストランでは競い合うようにテラス席から埋まって行くのである。
森田純一郎 句集「旅懐」所収
- 五月三十一日
乾杯の新緑といふビールかな 石崎宏子 箱根鍛錬会の懇親会で供されたビールの名は新緑。下戸でアルコールは苦手だが、その分、句には詠みたい。
「石崎宏子集」
自註現代俳句シリーズ一三(六)