今日の一句:2024年01月
- 一月一日
日本がここに集る初詣 山口誓子 伊勢内宮の初詣。本殿へ向って歩いていると、詣でて帰る人々と擦れちがう。日本の各地から、日本の隅々から来た人々だ。日本人全体がここに集っているのだ。
「山口誓子集」
自註現代俳句シリーズ一(二八)
- 一月二日
わが干支の本卦還りの初湯かな 小倉英男 私の干支は戌辰。若い頃は胃が弱く還暦まで生きられるとは思えなかった。一方来し方を顧みると碌な仕事もせず喜んでばかりはいられない。
「小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八(三四)
- 一月三日
穏やかに三日の朝日昇りけり 多田薙石 九十九里浜。はじめて正月らしい句を作った。その為に四時に起きて出かけたが、沢山の人が居るのには驚いた。
「多田薙石集」
自註現代俳句シリーズ六(一五)
- 一月四日
老いゆくをさぶしむ歌の賀状かな 下村梅子 年賀状を貰った。歌が一首書きそえてあった。ようやく老いんとするさびしさが詠われていて同じ思いの私の心を打った。
「下村梅子集」
自註現代俳句シリーズ二(一八)
- 一月五日
うつうつと御用始めを退けにけり 細川加賀 役所というところは楽しい職場ではない。コップ酒を少し飲んで、だるくなって、明るいうちに退庁するのである。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三(三一)
- 一月六日小寒
東より日は歩み来ぬ臼と杵 磯貝碧蹄館 いささか図柄が出来上がっているみたいだが、やはり「臼と杵」で、自然や物象に年頭の祝意を表してみたかった。
「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三(二)
- 一月七日
火をもつて命養ふ七日粥 児玉南草 生来粥は好きでない。なんとなく頼りない腹具合になるからである。七種粥も同じだが、自然への謝念が頼りない腹に力を与えてくれる。
「児玉南草集」
自註現代俳句シリーズ四(二三)
- 一月八日
初空のなんにもなくて美しき 今井杏太郎 鶴初句会で、友二先生の特選をいただいた句。そのせいかどうかは判らないが、その後やたらに〈なんにもなくて〉が使われ出した。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)
- 一月九日
初鴉面を上げて鳴きにけり 皆川盤水 鴉は色や鳴き声などから不気味な鳥とされる。一方神社では、八咫烏など瑞兆とされる。特に元旦の鴉は神鴉として目出度く、鴉好きの盤水にとっても特別なもの。その鴉の「面を上げて」には思い入れがひときわ深かったのであろう。(實)「皆川盤水集」
脚註名句シリーズ二(一二)
- 一月十日
初風に翻りたる家族かな 小島 健 平穏な正月を迎えた家族のささやかな喜び、と言ってもよろしいでしょうか?
「小島 健集」
自註現代俳句シリーズ一二(一)
- 一月十一日
初日記薔薇園作業二行ほど 原田青児 一、二月にかけて、人々の注目しない間が、もっとも忙しい。追肥・移植・新苗の定植・強剪定・強消毒と、つまり一年の基礎づくりである。
「原田青児集」
自註現代俳句シリーズ五(三三)
- 一月十二日
道違へ思はぬ一つ福詣 鳥越すみ子 松の内の川越の町。案内の方が道を間違えたとかで、思わぬところへ出てしまった。見ると大黒天を祀るお社。一福を賜わった次第。
「鳥越すみ子集」
自註現代俳句シリーズ七(一五)
- 一月十三日
春着にて混む方形の神の庭 伊藤トキノ 氷海最後の新年句会で〈初夢にこだはる帯を結ぶまで〉と共に高点を得た。主宰代理であった狩行と、上田五千石氏の点も。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七(二三)
- 一月十四日
竹馬のさみしき顔や塀を過ぐ 大串 章 塀の上を竹馬に乗った子供の顔が通り過ぎる。さみしき、と言ったのは、子供の頃の所在のない淋しさを思い出したからだ。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五(七)
- 一月十五日
女正月襖砦に女の宴 古賀雪江 正月十五日は、松の内は多忙であった女性達のための女正月。女子の賀客達の声は襖を閉めて一層に盛り上がった。
「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二(一三)
- 一月十六日
各々の位置をゆづらず寒星座 杉 良介 寒中は大気が澄みわたるので、星座の光もくっきりと冴えわたる。あたかもそれぞれが存在を主張しているかのようだ。
「杉 良介集」
自註現代俳句シリーズ・続編二七
- 一月十七日
新雪や罠にかかりし兎哭く 坂本タカ女 果樹などの下枝を傷つける兎捕獲に、枯柴を雪に突っ立てて道を作り、兎をおびき寄せる。美しい月夜に誘われて出て来た兎なのに。
「坂本タカ女集」
自註現代俳句シリーズ一一(六)
- 一月十八日
耳の大きな少年にまた雪がくる 中村菊一郎 私の住む地区には新興住宅が増えたので、見知らぬ少年に出会うことがよくある。しかし、そういう少年は、昔からの土地っ子とは違う顔つきだ。
「中村菊一郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(二二)
- 一月十九日
骨正月教師の疲れすでに負ふ 淵脇 護 骨正月は二十日正月のこと。有数の進学校だった勤務校は、正月元旦から特別補習などを展開、教師は常に疲れ気味であった。
「淵脇 護集」
自註現代俳句シリーズ一二(九)
- 一月二十日大寒
大寒に映ゆ的鯛の丸き斑 田中貞雄 職場の釣り好きから、外海の釣果のメバル、アイナメ、イナダをいただいた。体の真中に斑紋のある的鯛をはじめて煮付で食した。
「田中貞雄集」
自註現代俳句シリーズ一一(五四)
- 一月二十一日
靴音の消ゆる黒土初大師 鍵和田秞子 一月二十一日、弘法大師の初の縁日。黒土のやさしさは、大師にふさわしいのではないかと思った。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五(一一)
- 一月二十二日
鉄腕のラガー抱き合ふ雨の中 縣 恒則 大学ラグビーの決勝戦。ノーサイドの瞬間。
「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二(一四)
- 一月二十三日
寒の木に倚るはげしさを失へり きくちつねこ 何んとなく安易な道にかたむきやすい自分に気づいて出来た句である。
「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三(一一)
- 一月二十四日
饒舌の一日なりしが凍りけり 千代田葛彦 そんな日も締めくくりにはしんと凍結して、粛然と純粋にしてくれる。
「千代田葛彦集」
自註現代俳句シリーズ二(二五)
- 一月二十五日
寒鯉の後ずさりたる巌かな 高木良多 どこででの句というのではない。どこかでみた鯉の実相を追って、何か月か経ってこのようにまとまった。
「高木良多集」
自註現代俳句シリーズ五(四四)
- 一月二十六日
凍滝の膝折るごとく崩れけり 上田五千石 「膝折る」とは、頑張った末屈服すると言うことである。作者が「凍滝」の「崩れ」の瞬間まで凝視していたことが解る。五千石俳句の真髄である「眼前直覚」、「われ」「いま」「ここ」を自ら示している句である。(金子千洋子)
「上田五千石集」 脚注名句シリーズ二(一五)
- 一月二十七日
冬の峰けさ金箔のなきがらに 吉田柴乃 刻が来て地に還ることをゆるされた一匹の蜂。冬晴れの渚が鎮まりかえっていた。
「吉田柴乃集」
自註現代俳句シリーズ七(三〇)
- 一月二十八日
寒垢離の川へじゆぶじゆぶ裸練り 仁尾正文 引佐町川奈のひよんどりは一月四日。禊川まで裸群が体から湯気の出る程練り、入水のとき〈じゅぶじゅぶ〉音がしたように思えた。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇(二六)
- 一月二十九日
冬逝かす有給休暇貯めては棄て 鈴木栄子 入行したての頃は新入生だから休んではいけないと思った。中堅になったら働きざかりだから休めないと思った。今はなぜか休まない。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四(二八)
- 一月三十日
春待つやこころあづけし遠欅 長倉閑山 春を待つこころは、定かではないが遥かなるものへの憧憬と言いかえられる。これを具象するのには武蔵野に残る大欅こそ打ってつけ。
「長倉閑山集」
自註現代俳句シリーズ六(三)
- 一月三十一日
しづかなる寒行僧の徒裸足 能村研三 菩提寺の若住職が中山法華経寺の百日荒行に入山した。冬百日の間、三時間の睡眠と朝夕の白がゆの食事、日に七度の水行、読経と修業がつづく。真冬でも全て徒裸足、麻の薄い装束を身に纏う。
能村研三 令和2年作