今日の一句:2021年10月

十月一日
じゅうがつかめれてゐるくさなか皆川白陀

故郷から帰ると晩秋であった。冬仕度もと伸びた草を刈ったら甕が一つ割れていた。割ったのを捨てたのか捨てて割ったのか、無惨な思いをした。

「皆川白陀集」
自註現代俳句シリーズ四( 四八)

十月二日
とうげよりくるまくさ紅葉もみじ斎藤夏風

この峠は長野塩嶺峠、下ってくる車は皆雫を屋根に溜めていた。不思議に思った。そのまま一句にした。後で佐京道、右江戸道の石標を知った。

「斎藤夏風集」
自註現代俳句シリーズ五( 四一)

十月三日
富士見ふじみえて紋付鳥もんつきどりはたあるき岩永佐保

雀大のじょうびたきを別名紋付鳥という。一度使ってみたいと季語から始まった句。

「岩永佐保集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二八)

十月四日
くりひとよるすさびに大竹多可志

手持ち無沙汰な夜、いただいた栗を剝いたことがあった。直ぐに指が痛くなった。

「大竹多可志集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四四)

十月五日
うまとして吾子わこ奮戦ふんせん運動会うんどうかい本宮鼎三

子煩悩丸だしの句。競馬戦の馬として吾子よ、がんばれと応援。

「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六( 一)

十月六日
栗飯くりめし母語ははかたりゐてなれはは大串 章

昔も今も栗飯を喜ぶ子供の姿に変りはない。いずれその子も人の親となる。

「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)

十月七日
くだやなえゆくかみのごときみず今瀬剛一

栃木県烏山町の下り簗である。その上を青々とした水が通りすぎて行く。簗を越えた水はもとの流れのままに空を映しては流れている。

「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)

十月八日寒露
かんとや犬吠いぬぼうなみじんたり田中水桜

寒露とは二十四気の一つで、陽暦十月八日、九日頃。昨日台風が吹荒れた許りの犬吠埼は立っていられない位の強風だった。海原に狂う濤に感動。

「田中水桜集」
自註現代俳句シリーズ五( 二一)

十月九日
じゅだまそらのどこかにさっおん星野紗一

数珠玉の堅い実は、カラカラと音がするが、空のどこかでも、何かをこするようなよく似た音がする季節である。

「星野紗一集」
自註現代俳句シリーズ四( 四三)

十月十日
そのなかかみくれあき村越化石

前句に続く修那羅での作。八百体もの石神石仏群。その中の眼の神である。二つ三つ橡の実の落つる音も聞かれた。

「村越化石集」
自註現代俳句シリーズ二( 三八)

十月十一日
どんぐりをひろひピノキオかた関口恭代

大学の森を散歩するとたくさんの木の実が降る。近所の子供たちとどんぐり拾いを楽しみ、道々イタリア民話ピノキオを話すと子供の眼がひかる。

「関口恭代集」
自註現代俳句シリーズ一一( 九)

十月十二日
村芝むらしば居熟いうれしりんがおよび米谷静二

出し物はもちろん建国の英雄ウイリアム・テル。隣家の庭のリンゴに射している光は、この世のものとも思えぬ美しさであった。

「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)

十月十三日
色鳥いろどりやおそきあさのパンを木内怜子

「色鳥」に惹かれ作った。こんな風な作り方もする。

「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四十一)

十月十四日
もど新藁千しんわらせんまん青木華都子

稲を刈って残った藁は、小さく切って田に戻し肥料にすると田の土が痩せない。

「青木華都子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五〇)

十月十五日
ぬく酒真ざけまっうそをもてあまし小西敬次郎

酌み交す中に話が大きくなっていった。津田の酒癖の一つ、嘘を噓と知りながらの聞く側も大変、双方共に愚痴。

「小西敬次郎集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三九)

十月十六日
ちちおもえば菊流ぎくなが太田土男

父は書をした。若い頃は発句をしたと話したことがあった。〈木枯しに交じりて父の天の声〉〈父死にし年を送るにかしこまる〉

「太田土男集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 六)

十月十七日
ワインあき日除ひよけをはみして西池みどり

十月というのに暑いスペイン。コートを脱いで土産屋でTシャツを買って着替えた。白い家並の街を見ながら。

「西池みどり集」
自註現代俳句シリーズ一三( 五)

十月十八日
残菊ざんぎくたんかげかりけり鈴木良戈

晩秋に四囲枯れても、色淡く咲き残っているのは人間の老残と通じるものがある。万物はすべて移ろい、気力は萎えてしまう。

「鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八( 四三)

十月十九日
さんちゅうぜんのごときはぜ紅葉もみじ加藤燕雨

実感した。山中一本の火のように燃える櫨は、直感して全裸と思った。近より難いものを感じた。

「加藤燕雨集」
自註現代俳句シリーズ八( 二八)

十月二十日
よくらぬシャンソンなれど秋深あきふか橋本草郎

イブ・モンタンの「枯葉」は好きだが、他の曲はいい曲だな、くらいで終る。それにしてもシャンソンと秋は似合うように思う。

「橋本草郎集」
自註現代俳句シリーズ九( 九)

十月二十一日
くりはんこぼすよわいとなられけり南うみを

私にはじめて俳句を教えてくれた浜明史氏。すっかり齢を重ねられた。

「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二( 五)

十月二十二日
れてゆくみずひかりあきのこゑ小島 健

確かに秋の声が聞こえてきたのでした( ?)。無骨者の私ですが、時折は心身透明な思いを抱くこともあるようです。

「小島 健集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一)

十月二十三日霜降
ビルかたせあふもとあい羽根はね岡田貞峰

十月一日には、丸の内のビル街にも二人、三人連れの女高生が、募金箱を胸にして此処かしこに立つ。

「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四( 一四)

十月二十四日
紅葉もみじるおうおうとやまかみ福原十王

源流の滝には、行者の籠ったところと伝わるものが多い。あらわな岩や木の根につかまりながら、よじ登る。鳥の飛び立つもある。

「福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四( 四二)

十月二十五日
賞状しょうじょうかざらんしょうえて小林波留

夏草功労賞を受賞。せめても煤け障子だけでも貼り替えて賞状を高々と飾った。

「小林波留集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四六)

十月二十六日
富士ふじさんゆきからすうりひとつ雨宮きぬよ

箱根から見える富士山は、もう薄らと雪を被っている。

「雨宮きぬよ集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一一)

十月二十七日
陰森かげもりにたましひめるつきたけ阿部誠文

夕日を見るために大山の頂上に立った。とうぜん、下山は、夜になった。樹林の中で、ぼうっと光るものがあった。腐った倒木や月夜茸だった。

「阿部誠文集」
自註現代俳句シリーズ八( 一五)

十月二十八日
校庭こうていいっきゃく椅子いすあきくれ藤岡筑邨

ずうっと生徒たちで賑わっていた校庭も、運動会なども済んで、生徒の姿を見かけなくなった。そしてしまい忘れたのか椅子が一つあった。

「藤岡筑邨集」
自註現代俳句シリーズ七( 六)

十月二十九日
飴細あめざいみてゐてつるおとしかな喜多みき子

或る日の浅草、伝統芸能とも言えるような素晴しい技、つる、にわとり、うさぎと次々出来てくる。この句市川市俳句大会の市長賞を受けた。

「喜多みき子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 七)

十月三十日
かり琵琶びわ時忠ときただ能登のとくだ千田一路

時国家に上原まり平家琵琶の実演。全館を開け放し、舞台効果は十分だった。「時忠能登下り」が終章である。感銘深く聴いた。

「千田一路集」
自註現代俳句シリーズ九( 一)

十月三十一日
父母ちちははゆめみてさめてあきふかし町 春草

あっ、両親は死んでいなかった。目が覚めて、はっと思う。紅葉の美しさを教えた父も母ももういない。

「町 春草集」
自註現代俳句シリーズ六( 二七)