今日の一句:2021年08月

八月一日
畦豆あぜまめかさばんかな石飛如翠

まだ田舎では田の畦に大豆など植えるところがある。青々と葉を重ねる畦豆の風情は穏やかな農村のくらしを思わせる。

「石飛如翠集」
自註現代俳句シリーズ八( 一七)

八月二日
なつやすきょうしつガラスの部屋へやとなる石原 透

夏休みの教室には誰もいない。人の居ない教室は、ガラスの部屋になり、水槽のようである。教室のうしろに画や習字がさびしくかかっている。

「石原 透集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四九)

八月三日
さそりけやきれぬよるのあき及川 貞

さそり座は私の好きな星座。星が傾きはじめて欅に触れかかるのだ、天体の運行。

「及川 貞集」
自註現代俳句シリーズ二( 七)

八月四日
すずめらの夏影なつかげをひろふのみ日美清史

昭和二十年八月六日。その時も真夏の朝だった。そうつぶやきながら、この風景を見つめていた。

「日美清史集」
自註現代俳句シリーズ七( 三一)

八月五日
あきせいかたむげきつる江口井子

アスクレピオスの神域にある劇場は、照明が消されると森の闇に返ってゆく。もう星座も西に傾いて。

「江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二八)

八月六日
原爆げんばくまんみんみじかかげ木村里風子

一発で十数万人の生命を奪った原子爆弾。毎年行われる平和祈念に朝から万の市民が慰霊碑に詣でる。真上からの太陽に市民の影が短い。

「木村里風子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一二)

八月七日立秋
のうとはかなしきことあまがわ阿部慧月

生涯かけてきた農作の仕事から手を引く心持ちはどうであろう。聞きなれなかった離農という言葉が持つかなしさ。銀河を仰ぐにつけても。

「阿部慧月集」
自註現代俳句シリーズ四( 二)

八月八日
立山たてやまこんじょうきわりっしゅう中坪達哉

前田普羅は昭和二十九年八月八日の立秋に没した。故に「立秋忌」と。普羅が愛した立山は、その頃が最も力強くて丈高く、紺青色も極まる。

「中坪達哉集」
自註現代俳句シリーズ一二( 八)

八月九日
きょう竹桃ちくとうおなじじつはかならぶ朝倉和江

原爆で一瞬のうちに亡くなった家族が多い。原爆という文字を使わずに原爆の哀しみを詠みたかった。長崎以外の人にもわかって貰えるだろうか。

「朝倉和江集」
自註現代俳句シリーズ五( 二)

八月十日
顔洗かおあらみずおもみやあさあき伊藤敬子

立秋の朝、顔を洗っていて、ふと水の重みを感じた。これは俳句のこころ、と直感した。一抹の涼風が窓を過ぎた。

「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二六)

八月十一日
神々かみがみ交信こうしん獅子座ししざりゅうせいぐん宮崎すみ

その日、星は流れなかった。流れ星を亡き夫の変身として、二人だけの交信をするつもりであった。

「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)

八月十二日
朝顔あさがおめしばかりのくうかな前澤宏光

夏休みに朝顔の開花を調べたことがあった。この句の師の講評に、開花は早朝と思われているが、「咲きだすのは夜中の二時ごろ」と明言賜る。

「前澤宏光集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五一)

八月十三日
しょうひげつけてせがれ盆休ぼんやす行方寅次郎

親爺も無精だが、倅の無精はそれに輪をかけている。陶工という職業柄なお一層そうさせているのかも知れない。

「行方寅次郎集」
自註現代俳句シリーズ七( 三二)

八月十四日
ひかなひとつがははりゅうとう能村研三

母は生前から人づきあいなども全て控え目な人であった。母の霊を乗せた流燈は中々先へ進めなかった。

「能村研三集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六三)

八月十五日
さん瑚生ごおうみのつめたさしゅうせん手島靖一

沖縄で終戦日を迎えた。美しい珊瑚の海に手を浸すと、意外に冷たかった。この海には多くの英霊が眠っている。みんな、この冷たい海に......。

「手島靖一集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一六)

八月十六日
えさかり筆太ふでぶととなる大文だいもん山口誓子

京都の大文字。大きな送り火だ。燃え始めの、大の字は筆に書いた通りの恰好だったが、燃え熾ると、大の字は筆太になり、脹れたようになった。

「山口誓子集」
自註現代俳句シリーズ一( 二八)

八月十七日
一箸ひとはしちたまひけりいきたま細川加賀

古希の齢に胆石の手術をしてから、母の胃はすっかり丈夫になった。それでも近頃は、何んでもほんの少し食べて、それで満足している。

「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)

八月十八日
ふかぶかと白葱囲しろねぎかこ星月ほしづき光木正之

妻の実家から、ことしも葱をもらった。たくさんの太い葱、裏畑に溝を掘って囲っておく。

「光木正之集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二三)

八月十九日
まど算数さんすういきたま縣 恒則

卒寿を過ぎた母は、次第に寝込むことが多くなった。長女は毎日の日課の中に、算数問題を課し、母の頭の体操に心がけていた。

「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)

八月二十日
やはらかくじゃ音盆おとぼんつき柏原眠雨

道路から門扉までに砂利を敷いたので、来訪者があると砂利を踏む音でそれと分かる。大会の選者をした縁で、この句の碑が涌谷町に建った。

「柏原眠雨集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六六)

八月二十一日
うり馬足長うまあしながすぎてたおれけり小松まつ子

作ったばかりの時は立っていたのに、次の日には四本の足のついたまま倒れていた。

「小松まつ子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三三)

八月二十二日
ひぐらしやぬぐひてざすたびかがみ伊藤京子

蜩が朝夕鳴きだすと、暑い夏も終りを感じる。旅先でのコンパクトの曇りを指でぬぐう所作に、もの憂さを表現したかった。

「伊藤京子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四)

八月二十三日処暑
またちちふごとまわそうとう影島智子

盆が来るときまって盆具を出して飾る。中でも走馬燈は好きで早い時間から灯す。廻る絵の中に仏様が出て来るような気がする。

「影島智子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三六)

八月二十四日
ちちははのりゅうとうおなじとも髙崎武義

父に遅れること九か月、父の後を追って母も他界した。私は北支山西省太原市の日本中学校に在席していた。

「髙崎武義集」
自註現代俳句シリーズ七( 四四)

八月二十五日
特段とくだんはなおお施餓鬼せがき川澄祐勝

普段の法要は殆ど広板敷一間で営まれるが、大施餓鬼の日は特段の間も開け放たれる。

「川澄祐勝集」
自註現代俳句シリーズ九( 二三)

八月二十六日
かなかなのこえのいきなりたかかな谷口忠男

夜長会で笠間へ。城址にはかなかながしきりに啼いていたが、その啼き出しの音程の高さに驚かされた。

「谷口忠男集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 五〇)

八月二十七日
かみまふやまよりれて星月ほしづき大原雪山

前に同じ。四千メートルのキャンプサイトより仰ぐ星空は、一種凄惨な感じ。吸い込まれそうな感じになる。周りには七千メートルクラスの山々。

「大原雪山集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三六)

八月二十八日
あかつきのせい気真きましろすいよう河野静雲

筑後の俳人より花鳥山仏心寺に一樹の酔芙蓉が寄贈植樹された。五、六年にして一般芙蓉花と異なる八重咲の高雅な花を咲かせた。暁は白、正午より酔い初め夕方はピンクと化す八重咲の美花である。ホトトギス巻頭句で「日にほのと紅さしそめし酔芙蓉」の句も共に。

 
「河野静雲集」 脚註名句シリーズ一( 七)

八月二十九日
秋暑あきあつひんならざるにどんなる雨宮昌吉

貧者が貪欲になるのなら理解出来るが、どうも金が貯まり出すと賤しくなりそうである。金が人の心を変えるのは古今東西不変の真理。人間の業。

「雨宮昌吉集」
自註現代俳句シリーズ四( 三)

八月三十日
ねこかえるところありあまがわ西東三鬼

時が来ると猫も啼きながら帰るべき場所に向う。しかるに、われには心やすまるべきところもない。天空にひろがる銀河を見ながらやや感傷的。『変身』

「西東三鬼集」
脚註名句シリーズ一( 九)

八月三十一日
ひこすそひき稲光いなびか山崎羅春

豊かな稔りをもたらすという稲光り、神と仰ぐ弥彦嶺の裾に一閃の光が走る。あたかも闇の裳裾を引き裂くように。

「山崎羅春集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一)