今日の一句:2019年03月

三月一日
雪崩る夜は灯を点し合ふ山部落千葉 仁

なまあたたかい風が吹く夜は、きまって雪崩れがあり、その音に眠られぬ山部落である。むかしはどぶろくなどを酌み交したのであろう。

「 千葉 仁集」
自註現代俳句シリーズ七( 一一)

三月二日
八十路とはもろ手づつみのあたたかさ近藤 實

年齢とともに身についてくる威厳さ、やわらかさ、あたたかさは尊敬に値する。これを一言でいうとどうなるかと考えた。

「 近藤 實集」
自註現代俳句シリーズ七( 一六)

三月三日
ふだん着でふだんの心桃の花細見綾子

私はふだん着が一番好ましい。ふだん着を着てふだんの心でいる時、桃の花が咲いていた。

「 細見綾子集」
自註現代俳句シリーズ一( 一)

三月四日
啓蟄や二つの辞書を引きくらべ中村明子

一つでは満足できず、二つ、時には三つの辞書を引いてみる。そんなに違いはないのだけれど。

「 中村明子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二六)

三月五日
さるをがせ高きより垂れ山笑ふ高久田橙子

春の山に今年初めて入る。山道のあたりは明るく小さな石や木杭も見え、さるおがせは殊にはっきり見えた。

「 高久田橙子集」
自註現代俳句シリーズ五( 四五)

三月六日啓蟄
啓蟄を待たで掘らるる贅蛙鳥越すみこ

国栖奏は旧正月十四日に行われる。冬眠を終えて穴を出る啓蟄は、まだ来ないのに、掘られるとは。生け贄とはむごいもの。

「 鳥越すみこ集」
自註現代俳句シリーズ七( 一五)

三月七日
揚ひばり身すぎの花の習ひごと長谷川久々子

身過世過ということばがあるが、雲雀の鳴く宙を見上げながら、今日は花の稽古日である。趣味もまた時に生きてゆく手立てとなる。

「 長谷川久々子集」
自註現代俳句シリーズ五( 四七)

三月八日
江ノ電のちんかんと来る春の昼髙田正子

腰越あたり。若布をさっと湯にくぐらせると翡翠色になることを初めて知った。〈鎌倉をすぐそこに見て若布干す〉。

「髙田正子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三三)

三月九日
藪椿無造作に挿し人格論椎橋清翠

花一つ挿すのにも、その人の性格が分るという。

「 椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七( 三六)

三月十日
空襲忌川は無心に流れをり畠山譲二

東京大空襲の日である。しかし空襲はどこでもあったわけであるから「 三月十日」の前書がないと季語としては脆弱であると思う。

「 畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五( 四九)

三月十一日
流し雛ならざる雛の漂流す寺島ただし

東日本大震災の時、帰宅出来ず都内の職場で一夜を過ごした。テレビで津波の惨状を見て何も句に出来ず、これは後日連想したもの。

「 寺島ただし集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二三)

三月十二日
西行忌たんぽぽ毟りては流す藤井 亘

ぼんやり草に坐る。草を毟る、たんぽぽを毟る。水は静かにそれらを運ひ去る。放心の一刻。

「 藤井 亘集」
自註現代俳句シリーズ五( 五一)

三月十三日
赤飯の色に好みや春まつり土屋巴浪

春祭には、親戚間で好みの赤飯を配り合ぅ慣わしがあった。その色も、小豆の色を生かしたもの、牡丹の色に似せたものなどがあった。

「 土屋巴浪集」
自註現代俳句シリーズ八( 二九)

三月十四日
春昼や小走り買ひの葱一把鈴木真砂女

体が小さいので歩幅もせまい。ついちょこちよこと小走りになる。表通りの八百屋まで葱買いに。

「 鈴木真砂女集」
自註現代俳句シリーズ二( 二一)

三月十五日
指を入れ手を入れにけり春の水小島 健

さて、春の水の温み具合はいかがかな? 恐る恐る。

「 小島 健集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一)

三月十六日
エーゲ海より春色の角封筒川口 襄

ギリシャ・アテネ在住の友人から久し振りに手紙が届いた。娘さんの結婚報告だ。封筒も明るいエーゲ海の色をしていた。

「 川口 襄集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一九)

三月十七日
春の霜田に結ぶ日や田打舞小林愛子

相州一の宮寒川神社で。稲の豊穣を祈って行われる予祝行事で、広い畳の間で素朴な模擬実演風の舞である。

「 小林愛子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二二)

三月十八日
納め雛長き裳裾は箱に曲げ品川鈴子

もし春に飾られなければ、雛は天にも届く声で泣くとか。暗い箱にじっと耐える間、せめて差向いに坐らせ、裳裾も大切に扱ってあげたい。

「 品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五( 四二)

三月十九日
引鶴の朝日より湧き出でにけり高橋桃衣

出水の鶴。朝から何羽も飛んでいる。上昇気流を掴まえて、この日に北へ立ったことだろう。

「 高橋桃衣集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二一)

三月二十日
限りなく蕾む桜に日や風や伊藤てい子

寒さから解放され芽が出て花が蕾む。無数の桜の蕾に日も風もやさしく、春の悦びが惻惻と湧き、近くの桜並木に足が向く。

「 伊藤てい子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二八)

三月二十一日春分
会釈して影の縮まる彼岸婆岸田稚魚

彼岸会になると、母の供をして墓参するのが慣しである。浅草に父系。十条に母系の墓所がある。母のもっとも生甲斐とする日だ。

「 岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ一( 二三)

三月二十二日
蜘蛛の囲にかかりて太る彼岸雪堀 古蝶

彼岸に牡丹雪が降った。蜘蛛の囲の隙間が雪で埋まってしまい、蜘蛛は己が囲にとじこめられた。

「 堀 古蝶集」
自註現代俳句シリーズ七( 一三)

三月二十三日
春のちがふごとく山陽の乙女山陰の乙女晝間槐秋

三月。出雲大社句会での作。旅行の途次、通り過ぎて来た山陽線の〝陽〟と山陰の〝陰〟を対比して、両地方の乙女の〝性〟の違いを思い遣った。

「 晝間槐秋集」
自註現代俳句シリーズ五( 五〇)

三月二十四日
一樹一樹の前を過ぎゆき卒業す永田耕一郎

学校の構内の樹木には、思い出があろう。その一樹一樹の前を通り過ぎて卒業してゆく。

「 永田耕一郎集」
自註現代俳句シリーズ五( 四六)

三月二十五日
風垣の解かれし夜の風狂ふ千田一路

間垣は年中見られる能登特有の風物詩だが、風除けの垣は冬だけのもの。彼岸が過ぎると解きはじめる。時ならぬ台風まがいの風。

「 千田一路集」
自註現代俳句シリーズ九( 一)

三月二十六日
誓子亡き六甲山より春疾風山口超心鬼

山口誓子先生が三月二十六日亡くなられ、御葬儀は二十九日、西宮山手会館で行われた。強風吹き荒れて幔幕を煽った。

「 山口超心鬼集」
自註現代俳句シリーズ九( 一九)

三月二十七日
合はさりし干潟の潮の流れかな小圷健水

谷津干潟は上から干潟を眺めることができる。だから潮の流れもはっきりと見える。二筋の流れが一つになるところも。

「 小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)

三月二十八日
すみれ濃し絵島の墓のやや傾ぎ小倉英男

役者生島と不義の仲を問われて、大奥から信州高遠へ流された絵島。その墓は小さくひっそりと立っていた。〈 花冷や囚はれの間の嵌格子〉

「 小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八( 三四)

三月二十九日
みどりごの命の鬨や木の芽晴鈴木良戈

赤ん坊の精一杯に泣く声は、気持ちの良いものである。遠慮なく、思う存分に泣いて、満足をすればぴたりと止まる。不思議な気がする。

「 鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八( 四三)

三月三十日
座りよきものより栄螺焼きあがり有吉桜雲

俎の上の鯛ならず、さざえである。

「 有吉桜雲集」
自註現代俳句シリーズ八( 四五)

三月三十一日
眼鏡よごれやすし陽炎もつれあふ薄多久雄

こっそり誓子居で、先生の所作をオーバー気味に描いた。よごれやすし――がそれだ。但し、頭に「 春塵」期だ、ということがあったからだが。

「 薄多久雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 一七)