今日の一句
- 五月二十三日
みささぎの若葉の中の飛翔音 星野紗一 鳥である事はたしかなのだが、普通の鳥ではない意志を持ったような羽の音が、みささぎの奥に聞こえる。
「星野紗一集」
自註現代俳句シリーズ四( 四三)
- 五月二十二日
旅の髪洗ふ卯の花腐しかな 小林康治 鶴宮城野支部発会式が松島であった。志摩芳次郎同行。その夜は仙台長町の長女の婚家へ泊った。
「小林康治集」
自註現代俳句シリーズ二( 一五)
- 五月二十一日小満
大山蓮花おのれ恃みて疲れけり つじ加代子 「何も彼も一身に......」と人は言うが、これもかなしい己が性――。
「つじ加代子集」
自註現代俳句シリーズ九( 四四)
- 五月二十日
物いはず筍をむく背おそろし 西東三鬼 言葉で語らないが、背中で物を言っているわけである。それが怖しい。筍は手間のかかる食物。それを作者に食べさせるためにむいているのであるから、よけいに怖しい。『変身』
「西東三鬼集」 脚註名句シリーズ一( 九)
- 五月十九日
風五月翼の欲しと思ひけり 関口恭代 青葉若葉を渡る快い風に身をまかせているとき、自在に枝移りしたり、緩急に空の端まで飛ぶ鳥たちをとても羨しく思った。
「関口恭代集」
自註現代俳句シリーズ一一( 九)
- 五月十八日
山裾が村に来てゐる麦の秋 加藤燕雨 連山の裾がゆるやかに流れて来て、麦畑のところで終っている。山裾を歩いていて気付く。
「加藤燕雨集」
自註現代俳句シリーズ八( 二八)
- 五月十七日
朴の花風出て山を軽くせり 太田土男 好きな花の一つ。
朴の花といえば林火先生の〈八葉に乗り白法師朴開花〉が頭に浮かぶ。「太田土男集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 六)
- 五月十六日
夜の新樹神の笑ひを背にす 大竹多可志 夜の新樹の騒めきが、神さまの笑い声のように聞こえた。闇の重みの心理的な働き掛けを背中で感じとったのだ。
「大竹多可志集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四四)
- 五月十五日
咲き出でてまだくしやくしやの花菖蒲 仁尾正文 開花したばかりの花菖蒲。花びらは皺だらけで、くしゃくしゃだがそこがまたいい。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二六)
- 五月十四日
日本の空の長さや鯉のぼり 落合水尾 加須は鯉のぼりの産地。弓なりの日本列島をのぼるようにしてあがる鯉のぼり。五月の天地を雄壮な眺めにする。
「落合水尾集」
自註現代俳句シリーズ六( 三四)
- 五月十三日
雨上り黄菖蒲咲きぬ思ひきり 菖蒲あや 「春嶺」産みの親でもある真間会は、真間手古奈堂のほとりの稲荷神社が例会場であった。境内の池には黄菖蒲が咲き、蓮も咲いた。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二( 一九)
- 五月十二日
五月野に一とバスの婆散ちらばるも 八木林之助 洞爺湖畔所見。ゆるやかな景勝のスロープに一台の観光バスからお婆さんたちが降りつづけた。いやに背が低く見えたのは、景が大きいからだ。
「八木林之助集」
自註現代俳句シリーズ三( 三七)
- 五月十一日
五月来ぬアカシヤの蜜麺麭に塗り 鈴木栄子 集合研修や組合の大会で何度か北海道の本店へ行った。せいぜい札幌市内と、小樽、函館を回って帰ってくるので、それ以外北海道を知らない。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二八)
- 五月十日
松籟の息の長さの夏に入る 村越化石 私の居の東方に赤松の森がある。小道がめぐっていて、朝夕の散歩道となっている。
「村越化石集」
自註現代俳句シリーズ二( 三八)
- 五月九日
戞々と椰子の朝風端午なり 米谷静二 一人で良い気になっている句だが、実景は離れていないつもり。端午なりという言い方、歯切れがよいのでよく使う。指宿一人吟行の収穫。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)
- 五月八日
母の日の真帆滑りけり浮御堂 斎藤夏風 青邨夫妻と近江を廻った。ゆっくり、のんびり、浮御堂で寛いだ。先程から各地の水郷の話、そして紅粉花の話、母と重ねる師。帆舟が滑る。
「斎藤夏風集」
自註現代俳句シリーズ五( 四一)
- 五月七日
浅草の風藍色に端午かな 鈴木良戈 観音様は昭和二十年三月十日の東京大空襲で廃墟となったが、浅草っ子の意地で、本堂・雷門・宝蔵門・五重塔院と金竜山浅草寺は華麗に復興。
「鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八( 四三)
- 五月六日
鑑真忌巌より生ひて羊歯青し 岩永佐保 唐僧鑑真の伝記を読んでからずいぶん経った。〈若葉して御目の雫ぬぐはばや 芭蕉〉の句を心にこの年も唐招提寺に出かける。
「岩永佐保集」
自註現代俳句シリーズ十二( 二八)
- 五月五日立夏
柏餅食ひためらふや男古り 市村究一郎 横山会の発足当時は、三十前後の男ばかり、片山鶏頭子を除いては、甘い方も相当食ったものだ。その後はどういうわけか左利きばかりふえた。
「市村究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 七)
- 五月四日
松蟬や祭過ぎたる毛越寺 遠藤悟逸 五月一日から五日まで平泉では藤原祭が行われる。それが終った頃、遅い桜もすっかり散って急に夏めいて来た境内の松には松蟬が鳴き出す。
「遠藤悟逸集」
自註現代俳句シリーズ二( 五)
- 五月三日
八十八夜笊の莢豆茶に競ふ 百合山羽公 八十八夜と言う美しい季節が来た。新茶はその季節の主役であるが公平な神様は笊に摘んだばかりの莢豆にも美を競わせて下さる。
「百合山羽公集」
自註現代俳句シリーズ一( 二五)
- 五月二日
メーデー歌遠し三尺の紙の鯉 皆川白陀 うなぎのぼりの物価高で、アパートの窓からは三尺ほどの鯉幟が泳いでいた。ラジオから流れるメーデー歌は虚しく聞えるのであった。
「皆川白陀集」
自註現代俳句シリーズ四(四八)
- 五月一日
メーデー旗そして幟や五所亭忌 本宮鼎三 五所平之助師の忌日は五月一日。三回忌。師は東宝争議のとき組合員の先頭に立った。賑やかなことが好きだった。幟は鯉幟。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六( 一)
- 四月三十日
藤も花過ぎてはもどる謐かな夜 千代田葛彦 さくら時の華やぎから藤いろの春も過ぎては、また静謐な夜が戻るばかり。
「千代田葛彦集」
自註現代俳句シリーズ二( 二五)
- 四月二十九日
バタやんへ「オッス」と返す昭和の日 竹村良三 唄い始めに必ず「オッス」と挨拶、これに観客がまた「オッス」と返す。こんな昭和の日が懐しい。「バタやん」とは歌手、田端義男。
「竹村良三集」
自註現代俳句シリーズ一三( 九)
- 四月二十八日
樏の用なく掛かる暮春かな 清崎敏郎 樏は言うまでもなく雪中を歩くときに履くもの。その樏が、今は用がなくなって土間の壁にかけてある。深かったこのあたりの雪も消えて、春も行かんとする末の頃。三和土に差し込んでいる陽光もなんとなく気怠く感じる。あたりに人の影はない。( 新井ひろし)
- 四月二十七日
春の炉に横ずわりしてゆめうつつ 加藤三七子 馬籠の宿には大きな春の炉があった。藤村の詩の女たち、おえふ、おきぬ、おさよ、おくめとおもった。みんな熱きおもいの恋の女たちであった。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)
- 四月二十六日
妻ひとり娘二人や芝ざくら 有働 亨 春の一日、芝桜の上に足を投げ出して屈託もない妻子の姿をそのまま句にしてみた。「妻ひとり」は当り前と評されたが、俳句は理屈ではないのだ。
「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四( 一二)
- 四月二十五日
呆け憩ふほとり寄居虫うごきだす 原 柯城 岬端の礁畳に寝そべって、雲を眺めつつ放心のひととき。うごかない私に安心して、かさこそと音を立てて、私のまわりをうごき出す寄居虫。
「原 柯城集」
自註現代俳句シリーズ四( 三九)
- 四月二十四日
手のあきしとき春愁のつのるなり 山下喜子 女が手を遊ばしてたら、あきまへんェ。私達の年代は、そんな躾であった。
「山下喜子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三五)