俳句の庭/第67回 二つの山 染谷秀雄

染谷秀雄
昭和18年(1943)8月31日東京都生。1966年「夏草」山口青邨に師事。1986年「屋根」斎藤夏風に師事。2017年3月「屋根」終刊に伴い、「秀」創刊主宰。「夏草」新人賞。俳人協会理事事務局長。日本文藝家協会会員。句集に『誉田』『灌流』『息災』。

 尾瀬ヶ原は群馬、福島、新潟の3県にまたがる湿原地帯で高層湿原の広さでは日本最大といわれ、2000メートル級の至仏山、燧岳、景鶴山などの山に囲まれている。中でも尾瀬ヶ原に代表される二つの山が至仏山(しぶつ)と燧(ひうち)岳だ。自然の造形美とも言われる代表的な山である。 
 昭和24年の頃「はるかな尾瀬~遠い空」と唄われた尾瀬も交通手段が発達し、身近となってきたもののやはり未だ遠いところだ。尾瀬に行くにはかつては上越線で沼田駅へ、今では上越新幹線で上毛高原駅へ、そこからバスで1時間半ほどで、ようやく鳩待峠に出る。バスはここで終点。ここからは山毛欅林を経て降り切れば山の鼻。そこで一休みして歩きはじめると尾瀬ヶ原の湿原に出る。歩くところはすべて木道が敷かれ高山植物が咲く湿原を踏み荒らすことのないよう配慮されている。
 入山者も少なかった頃は問題なかったが、尾瀬の素晴らしさが知れ渡ると、入山者がどっと増えたことにより、湿原が荒らされ始め瞬く間に多くの貴重な植物が絶滅しかけた時期があった。今でもこの修復のために気の遠くなるような時を掛け続けている。
 夏に順を追って咲き継ぐ水芭蕉・綿菅・日光黄菅等の数々。また、初秋の草紅葉も見逃せない、しかしこの草紅葉、一晩霜でも降りれば一瞬のうちに枯れてしまう厳しさを見せる。
 原へは工事資材をヘリコプターで運んで部分補修を繰り返しているため基本的にはしっかりとした木道となっており、歩きにはほとんど支障が無いように整備されている。この原を暫く歩いて行くと正面に雄大な男性美の燧岳が聳えて見える。その山容が池塘と呼ばれる澄んだ大きな水面に映る姿は壮観である。ここで後ろを振り返るとしなやかな女性美の至仏山が聳える。この山の中腹は森林限界といって3メートル以上の高木が生育できずに森林を形成できない限界線が描き出されているのが見える厳しい山だ。
 一方、燧岳は山の歴史が新しく至仏山ほどには高山植物の数が多くはなく山麓は山毛欅を主体とした岳樺、水楢、橡の木などの落葉広葉樹林となっている。この二つの山なくして尾瀬は語れず、尾瀬を訪れるひとの心を和ませるのが二つの山の存在である。  (完)