俳句カレンダー鑑賞  平成27年6月

俳句カレンダー鑑賞 6月
蚊遣火の煙揺らして中座せり 榎本好宏

 蚊遣火は室内に置かれた蚊取線香だろう。親しい語らいの場が想像される。所用があり、中途で座を外さねばならない。
 立ち上がって去る時に、静かに立ちのぼる煙がかすかに揺れて乱れたのだ。その揺らぎは、暫くはまだ座にありたいという存念のようでもある。
 平生の一場面を詠みとった掲句は、また別の思いを暗示していようか。
 作者6歳のときにアッツ島で戦死した父、作者定年後に間を置かず逝去した妻、そして戦争未亡人として二人の子を育て上げ、8年前に他界した母(作者と同じく森澄雄の主宰誌『杉』の同人だった)。作者の方寸にはなお、近親の死はこの世からの「中座」にほかならず、蚊遣の煙は香煙に通うのではないだろうか。
 作者には〈黄亀虫アッツに父を失ひき〉〈父のあと墓誌にいくたり下萌す〉の作がある。 (高橋 博夫)
蚊遣火の煙揺らして中座せり

榎本好宏

 社団法人俳人協会 俳句文学館530号より